全く下らない訴状だが全文紹介する
正に訴権乱用以外の何ものでもない・・・参考まで

靖国参拝違憲確認等請求事件訴状

原 告    菅原龍憲    外630名
被 告    小泉純一郎    外 3 名
訴額            7,250,000円
貼用印紙額           44,600円
添付郵券額           11,100円

靖国参拝違憲確認等請求事件
訴 状

2001(平成13)年11月1日

 別紙当事者目録記載の原告らは,後記のとおり訴えを提起する。

大阪地方裁判所 御中

原告ら訴訟代理人

弁 護 士      井上 二郎
弁 護 士      太田 隆徳
弁 護 士      加島   宏
弁 護 士      新井 邦弘
弁 護 士      安  由美
弁 護 士      上原 康夫
弁 護 士      大川 一夫
弁 護 士      大橋 さゆり
弁 護 士      川下  清
弁 護 士      空野 佳弘
弁 護 士      田中 稔子
弁 護 士      中北 龍太郎
弁 護 士      中島 光孝
弁 護 士      丹羽 雅雄

(証拠方法)

甲1〜5号証     朝日新聞記事の切り抜き
甲6〜9号証     中国国内紙記事の切り抜き
甲10〜22号証   人民日報記事の抜粋 

(添付書類)

1.訴状副本              4通
2.甲号証写し           各4通
3.現在事項全部証明書        1通
4.訴訟委任状          630通

(当事者目録)

原 告 原告訴訟代理人
 いずれも別紙目録のとおり

〒100-0013 東京都千代田区永田町二丁目3番1号 首相官邸
被 告     小泉純一郎

上    同    所
被 告      内閣総理大臣 小泉純一郎

〒100-0013 東京都千代田区霞ケ関一丁目1番1号
被 告      国
          代表者法務大臣  森山眞弓

〒102-0073 東京都千代田区九段北三丁目1番1号
被 告      靖國神社
          代表者代表役員     湯澤 貞

(原告訴訟代理人目録)

 <省略>

(請求の趣旨)

1.原告らと被告らとの間で,被告小泉純一郎が2001(平成13)年8月13日,内閣総理大臣として靖国神社に参拝したことは違憲であることを確認する。
2.被告ら(被告内閣総理大臣小泉純一郎は除く)は,各自連帯して,原告それぞれに対し,金1万円およびこれに対する2001(平成13)年8月13日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。
3−1.被告内閣総理大臣小泉純一郎は,内閣総理大臣として靖国神社に参拝してはならない。
3−2.被告靖国神社は,被告内閣総理大臣小泉純一郎が内閣総理大臣として靖国神社に参拝するのを受け入れてはならない。
4.訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決,および2項につき仮執行の宣言を求める。

(請求の原因)

第1 本件訴訟提起の歴史的背景と意義について

1.被告小泉による靖国神社公式参拝

 被告小泉純一郎は,内閣総理大臣として,2001(平成13)年8月13日,宗教法人である被告靖国神社の宗教施設である靖国神社に参拝した(以下,この参拝を「本件公式参拝」という)。

2.国民統合の宗教施設・軍事施設−靖国神社

 靖国神社は,国家機関として,明治初期から太平洋戦争の敗戦に至るまでの70数年にわたって,国家神道体制の中核に位置した。「神聖不可侵」「現人神」天皇制のもと,「天皇のために」戦没死・戦病死(以下,単に戦死という)した人(戦没者)を「英霊」として祭祀・顕彰し,軍国主義の精神的支柱としての役割を果たしてきた。
 戦前日本の軍国主義は,天皇の統帥権を嵩にきた軍部の専横のみで独り成立し得たのではない。「八紘一宇」に代表されるような独善と覇権の思想,「現人神」天皇制と国家神道のもとで培われた忠君愛国,滅私奉公等,近代の「自我」を排する当時の国民の道徳観・世界観が,その生成に大きな力を与えている。
 だが,このような国民の道徳観・世界観は,決して国民の側から自発的に生まれたものではない。学校を布教所とし,「教育勅語」を教典とする徹底した皇民化教育=国家神道の宗教教育によって国家が強制したものである。これら皇民化政策は,日本の植民地支配によって「帝国臣民」とさせられた植民地人民に対しては,「創氏改名」を始めとして,異民族性を徹底的に解体するなど,熾烈を極めたものであった。
これを明確な死生観,宗教観念によって支えたのが,「天皇のために」戦死すれば神として祀る靖国神社であった。
 戦没者の霊は,国家と靖国神社が一方的に,遺族に何の断りもなく,靖国神社に合祀し,これを「英霊」(すぐれた人の霊魂−広辞苑第三版)として扱った。それによって,累々と続く戦死が正当化・美化された。靖国神社は,戦闘意欲旺盛な「帝国臣民」を無限に生み出す宗教的,思想的装置であった。
 戦争に駆り出された兵士に,戦死が犬死だとの疑念をはさませず,その怨念を周到にも生前から鎮めるために,国家は皇国史観を教育し,靖国神社に祀られることがあたかも栄誉であるかのような意識を「帝国臣民」に植え付け,靖国信仰を強制していったのである。     
 このように,靖国神社は軍国主義日本の象徴であり,植民地人民も含めて「帝国臣民」を戦争に向けて統合する精神的装置として,まさに「軍事施設」でもあった。
 靖国神社は,政治と宗教が結合したときの恐ろしさを如実に示している。「政治と宗教が国家権力のもとで一体化したときの恐ろしさを,戦前の治安維持法の歴史がよく教えてくれる。治安維持法違反に問われた者は,その全員が政治宗教としての国家神道=近代天皇制イデオロギーの異端者として,いわば国家の祭壇に供された犠牲=『いけにえ』であったと言ってよい。その国家神道の中核的存在のひとつである靖国神社は,たんに戦場で流された血だけでなく,戦争に反対した犠牲者が牢獄で流した血のうえにきずきあげられた,二重の意味での血ぬられた天皇の祭殿であった」のである(大江志乃夫「靖国神社」岩波新書58頁)。

3.戦後も変わらぬ靖国神社の本質

 戦後,靖国神社は国家管理から離れ,単立の一宗教法人として存続する途を選んだ(被告靖国神社の成立)。国家との直接的つながりはなくなったが,戦没者を「英霊」として慰霊・顕彰することにより,戦死を他の死(例えば空襲などによる戦災死)と峻別し,戦死を尊いものとして褒めたたえる,その教義,宗教施設としての本質は戦前のそれと何ら変わっていない。
 民間の一宗教法人となったものの,被告靖国神社は戦後も引き続き国家から「特権を受けて」(憲法20条1項後段)きた。厚生省(現厚生労働省)が,陸軍省や海軍省に代わって,靖国神社に祀る戦没者の名簿を作成して交付し,被告靖国神社がこの
名簿により,新たな祭神を霊璽簿に書き加え,合祀してきたのである。祭神として祀るべき戦没者の選択は,同神社の教義と礼拝行為の中核的作業である。被告靖国神社の宗教行為は,国家の特別の便宜供与によって成り立ってきたのである。
 また,被告靖国神社は,内閣総理大臣の公式参拝を求めているだけではない。天皇の「御親拝」の復活をも悲願としている。同神社のホームページ(http://www.yasukuni.or.jp)には,靖国神社関係者と思われる者と「靖国神社と日本人」 (PHP新書) の著者・東大名誉教授小堀桂一郎氏との対談が掲載されていた(2001年10月25日現在)。同対談で,「まずは総理大臣の公式参拝の実現
を」とのサブタイトルのもとで,同氏は「この機会(靖国神社創立130年=1999年。代理人注)に内閣総理大臣の公式参拝がぜひ実現できるようにしたいですね。それが実現できれば,総理大臣の参拝を露払いとして,天皇陛下の御親拝も復活可能なのではないかと思います」と述べている。対談相手もそれに賛意を示していることは,文脈から明らかである。
 この小堀氏の発言はおそらく被告靖国神社の考えに沿うものであろう。そうであるならば,被告靖国神社は内閣総理大臣の参拝のみならず,天皇(それは言うまでもなく,国家機関の一つである)の公式参拝まで望んでいることになる。
 そこには,被告靖国神社の性格が如実に示されている。同被告が国家機関による参拝を求めるのは,まさに憲法が定める「いかなる宗教団体も国家から特権を受けてはならない」との禁止条項に明らかに反する。この姿勢は,被告靖国神社の時代錯誤と憲法感覚の欠如を示すものである。
 被告靖国神社には,戦没者を「顕彰」「賛美」する姿勢は見られても,わが国の戦争,とりわけ,わが国のみならず,中国,朝鮮半島をはじめアジア諸国に惨禍をもたらした太平洋戦争・侵略戦争に対する反省の態度は微塵も見られない。
 また,被告靖国神社が合祀する戦没者の遺族が幾人も,自己の肉親が同神社に合祀され,「英霊」とされていることに怒りを覚え,合祀取消を要求してきたが,同被告はこれに応じていない。国家に対して特権の付与を求めながら,他方では遺族からの合祀取消の要求に応じない,その態度に靖国神社の傲慢さが表れている。

4.旧植民地出身者と靖国神社

 戦前日本は,1895年4月17日,日清講和条約によって台湾を割譲させた。次いで,1910年8月22日,「韓国併合」条約によって朝鮮を植民地支配し,これら植民地人民を「帝国臣民」とした。そして,植民地人民を「外地人」であるとして,「内地人」とは異なる戸籍令の登録対象者とした。異法地域法制(民族籍)を基本として,分断統治の植民地政策を強いた。同時に,天皇を中心とする日本国家は,
植民地人民に対して,「天皇のために死ぬ」「天皇のために人を殺す」という徹底的な皇民化教育を行った。1937年の「皇国臣民の誓詞」の制定や神社・神棚・奉安殿の設置,1938年の朝鮮語教育の廃止,1939年の創氏改名などの皇民化政策は,植民地人民の民族性を徹底的に解体し,植民地人民に「天皇のために死ぬ」ことを強いた。その後の強制連行の歴史,植民地人民の軍人・軍属としての徴兵,徴用の歴史は,植民地人民が日本の侵略戦争にかり出され,「死地」に追いやられた歴史でもあった。
 靖国神社は,これら神権天皇制と軍国主義日本の象徴であったばかりではなく,植民地人民の民族性を解体し,「帝国臣民」に統合するための精神的装置でもあった。
日本の敗戦後においても,被告靖国神社は,旧植民地戦没者遺族の合祀取消の訴えを黙殺し,天皇と日本国家に殉じた「英霊」として合祀し続けている。

5.靖国神社公式参拝の影響

 死は,いかなる意味でも賛美されてはならない。これは日本国憲法の定める「個人の尊厳」の当然の帰結である。「国のために」死ぬこと,まして「天皇のために」死ぬことを賛美するのは,日本国憲法が定立する,近代の「個」を自覚し,自立し,自
律する市民に対する冒涜であり,まことに恥ずべきことといわなければならない。
 被告小泉純一郎は,前記靖国神社参拝に当たり,「戦没者に対する敬意と哀悼の念をささげる」「二度と戦争を起こしてはならないという気持ち」からと,参拝を「熟慮・断行」した目的を説明したが,戦死を賛美してやまない靖国神社はその目的に最もふさわしくない場所である。
 被告内閣総理大臣小泉純一郎が参拝したことは,日本国憲法の定める政教分離原則に明らかに違反し,かつ靖国神社に合祀されたA級戦犯に「敬意」を表したことに帰結する。それは,日本国憲法の平和主義を単なる画餅におとしめ,かつアジア諸国民との善隣友好を現実に危うくする。 

6.本件訴訟の意義

 本件公式参拝は,日本国憲法の定める政教分離原則,信教の自由の保障,平和原則,個人の尊厳に反する。原告らは,本件公式参拝によりそれぞれが受けた精神的損害の賠償を求めるとともに,本件公式参拝がこれら憲法原則に反するものであること
の確認を求め,加えて,内閣総理大臣が今後公式参拝をしないよう差し止めを請求するものである。
 とりわけ,在韓原告ら及び在日原告らは,旧植民地の出身者として,日本国家と靖国神社によって過酷な植民地支配と強制的な徴兵,徴用によって日本の侵略戦争にかり出された遺族又は,本人である。そして,日本国家=被告国は,彼(女)らに対して,植民地支配について一片の謝罪もしていない。多くの遺族に対して遺骨の返還をしないばかりか,戦死通知すら出さないで来た。
 また,被告靖国神社は,遺族らの合祀取消の強い要求にもかかわらず,これを拒否し,現在もなお,天皇と日本国家に殉じた「英霊」として合祀を続けている。これら被告国と同靖国神社の行為は,夫を,父を,兄弟を奪われた在韓原告及び在日原告らに対して,幾重にも精神的苦痛を与え続けており,耐えがたい屈辱を強いている。本件訴訟の意義は,在韓原告らおよび在日原告らにとっては,植民地支配の加害者日本国家=被告国と同靖国神社に対して,その植民地支配と戦争責任を問う訴訟でもある。
 そして本件訴訟は,裁判所が違憲審査制により有する憲法秩序保障機能に着目し,本件各請求を通じて,原告らの損害の回復と,今後再び原告らに同様の損害が生じないようにするために,本件公式参拝の違憲確認と公式参拝の抑止を目的とする主観訴訟である(なお,憲法が保障する「裁判を受ける権利」に照らして,訴訟を主観訴訟と客観訴訟に区別する従来の見解は甚だ疑問であるが,その点はここでは措く)。
 原告らの信教の自由,個人の尊厳などの基本的人権は,憲法秩序が維持・保障されてはじめて擁護される。そして,その憲法秩序は,実は「国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」のであり(憲法12条),そのために,裁判所に違憲審査の権能と責務が与えられている。原告らは,裁判所がその与えられた権能を適切に行使し,責務を果たされることを期待する。

7.人権保障のために積極的な違憲審査を

 本件公式参拝は,憲法秩序の重要な一環を成す政教分離原則――それは,かつて国民が(それも旧植民地の人たちまでもが)国家神道体制によって「臣民」化され,神社参拝が強制され,精神の自由が蹂躙されたわが国の歴史的経験を踏まえ,国家神道の完全な克服と否定を目指した極めて重要な憲法秩序である――を侵害した。原告らがこれを拱手傍観することなく,賠償等を求めて出訴するのは,個人の被害の回復と防止を図るものであるとともに,主権在民の原理に裏付けられた市民の当然の行動で
ある。憲法諸原則は,市民の不断の努力と行動によって初めて実現・維持される。本件訴訟は,「法の実現における市民の役割」の実践にほかならない。
 憲法問題は多かれ少なかれ政治的性格を免れない。とりわけ靖国問題は戦後一貫してわが国の政治問題であり続けた。1967年自民党が靖国神社国家護持を目指して「靖国神社法案」を発表したころから,常に激しい政治論議の的となってきた。とく
に, 1985年8月15日,公式参拝の合憲性の有無やその是非をめぐって賛否両論,世論が沸騰する中で,当時の中曽根康弘首相が公式参拝を強行して以来,毎年8月15日が近づくと靖国公式参拝問題が大きな政治問題,外交問題として浮上してきた。
 ところで,わが国の裁判所,とりわけ最高裁判所は,いわゆる司法消極主義の傾向が顕著であり,しばしば憲法判断を回避してきた。それは,司法の独立を守るために,法廷が政治的対立の場となることを避ける政策的配慮のゆえであると説明されることがある。しかし,その説明は決して当を得たものではない。そのような政策的配慮があるとすれば,却ってそのこと自体が政治的であるという皮肉な結果をもたらすことにもなる。わが国裁判所の司法消極主義は,そのような配慮から生じているのではない。それは,人権保障,特に精神的自由権については,違憲審査制こそが少数者の人権保障の砦であるとの認識が裁判所に欠如しているからであると思われる。
 憲法の信教の自由,思想信条の自由,政教分離原則などの諸規定は,少数者の精神的自由を守るためのものである。違憲審査制の目的は,これらの諸規定を駆使しての人権保障にある。
 そのため,裁判所が市民の精神的自由を守ろうとすれば,精神的自由はその本質上必ずしも多数決原理になじまないものであるから,多数決原理がもたらした結果に対する批判を表明することになる。このように違憲審査制は,多数決原理に対する抑制機能にその本質がある。政治権力や社会的多数派との摩擦はここから生じる。
 わが国の司法消極主義は,確固たる司法哲学に裏付けられたものではない。政治権力や社会的多数派との摩擦をおそれ,そこから逃避しようとする単なる消極的態度の産物である。いわば「司法消極主義」に名を借りた,ぬるま湯的ことなかれ主義ともいうべきものである。
 司法消極主義はときとして「憲法判断回避の原則」と称して表れる。だが,「憲法判断回避の原則」は,多くの場合,「違憲判断回避の原則」にすぎなくなっている。
わが国裁判所は決して憲法判断そのものを回避しているのではない。合憲判断は無数に行っているが,違憲判断は数えるほどしかない。
 このような裁判所の「消極主義」が,現に憲法秩序を危殆に陥れている。近時,憲法9条に関し,集団的自衛権が同条の許容するものでないことは明らかであるにもかかわらず,自衛隊の海外派遣につき,「憲法を変えなくとも解釈を変えればよい」とか「解釈改憲」などという不可解な言辞が政治の世界でまかり通っている事実が,これを如実に示している。
 裁判所がこのような「消極主義」を続けるならば,違憲審査制は形骸化し,憲法秩序は崩壊の途を辿るしかないであろう。

8.憲法32条 「裁判を受ける権利」

 裁判所が消極主義を採る場合の道具としてしばしば用いるのが,訴えの利益や無名抗告訴訟の許否というハードルである。だが,憲法32条が保障する「裁判を受ける権利」は,裁判(本案裁判)による基本的人権の実効的保護を保障したものであり,同条自体が実定訴訟法規と解すべきものである。
 したがって,憲法上の実定訴訟法規の下位法である民事訴訟法や行政事件訴訟法により訴えの利益や訴訟類型を制限することは,「法の下剋上」にほかならず,基本的人権の保障につき排除されている「法律の留保」を訴訟法に持ち込むものであり,いわば「訴訟法の留保」というべきものであって,到底許されない。

9.裁判所への期待

 本件訴訟は,憲法訴訟として位置づけられる。「憲法訴訟」の概念は多義的であるが,「請求の前提として憲法問題が争点として提起され,それに対する裁判所の判断が当該訴訟の重要なテーマとなる訴訟」と定義することができよう。
 本件訴訟の争点の中心は,被告小泉純一郎が内閣総理大臣として被告靖国神社に参拝したことの違憲性,および同参拝による原告ら,とりわけ在韓,在日の遺族の権利ないし法的に保護された利益の侵害であり,これに対する裁判所の判断こそがまさに重要なテーマである。
 原告らは,裁判所が「消極主義」に陥ることなく,かつ,「訴訟法の留保」にとらわれることなく,本件訴訟において果敢に違憲審査権を行使されることを期待してい
る。

第2 請求を基礎づける事実

1.当事者 

(1) 原告らのうち,原告目録の原告番号1〜44の原告44名はいずれも,戦没者の遺族である。また,在韓原告目録の原告117名は,在韓原告番号16番の金智坤を除きすべて,旧日本軍によって徴兵,徴用,または連行され,その結果戦死・戦病死
(以下,単に戦死という)した当時の日本臣民の遺族である(以下,これらの原告を遺族原告と総称する)。
 原告らのうち,原告目録の原告番号45〜513の原告469名は遺族ではないが,仏教またはキリスト教を信仰する宗教者,あるいは靖国信仰と相容れない思想信条を有するものである。
 原告らのうち遺族原告161名は,それぞれの宗教ないし思想信条によって,戦没者を追悼・祭祀している。
(2) 被告国は,かつて大日本帝国憲法下において,政府の行為として,遺族原告らの父など肉親を徴兵あるいは徴用し,侵略戦争に動員,戦没死・戦病死(戦死)させたものである。
(3) 被告小泉純一郎は,「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」と謳う日本国憲法下における,被告国の内閣総理大臣として,行政各部を指揮監督する職務を担うとともに(憲法72条),同憲法を尊重擁護する義務を負うものである(同99条)。
(4) 被告靖国神社は,宗教法人法による一宗教法人であり,いかなる公的性格をも有しない。同被告は,その社務所を東京都千代田区九段北3丁目1番1号に置き,その目的を「明治天皇の宣らせ給うた「安国」の聖旨に基づき,国事に殉ぜられた人々を奉斎
し,神道の祭祀を行ひ,その神徳をひろめ,本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し,社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行ふこと」としている神社である(同規則第3条)。

2.事実経過

2−1.被告小泉の靖国神社公式参拝
(1) 被告小泉は,終戦記念日の二日前,2001(平成13)8月13日,靖国神社に参拝した。すなわち,靖国神社本殿に昇殿,戦没者の霊を祀った祭壇に黙祷した後,深く一礼を行った(本件公式参拝。甲1号証・朝日新聞切り抜き)。
(2) 本件公式参拝に際し,被告小泉は,同参拝が純粋に私的なものであることを明確にしたことは一度もなく(甲3,4号証・朝日新聞切り抜き),かえって,靖国神社への往復に公用車を用いる(甲1号証)等,被告国の公務として行動した。
(3) さらに,被告小泉は,靖国神社本殿昇殿に先立ち,同神社拝殿において「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した。同被告が予め祭壇に供えさせていた一対の花には,「内閣総理大臣小泉純一郎」という名札が付されていた。
(4) 本件公式参拝前から,被告小泉は,「靖国神社の公式参拝は日本人の原点だ。(内閣総理大臣就任後は)日本のために犠牲になった人のために参拝する。」(自民党総裁選中の公約),「戦争の犠牲者への敬意と感謝をささげるために,靖国神社にも内閣総理大臣として参拝するつもりだ。」(5月14日衆院予算委員会での答弁)等の発言を繰り返し,内閣総理大臣として参拝する姿勢を終始明確にしてきた(甲3,4号証)。
(5) 本件公式参拝後,被告小泉は,報道陣の質問に対して,「公式かどうか。私はこだわりません。総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した。それだけです。」と応答し,公式参拝であることを否定しなかった(甲1号証)。
2−2.被告靖国神社の積極的な受け入れ
 被告靖国神社は,前記の被告小泉による同神社拝殿における「内閣総理大臣小泉純一郎」との記帳に際して,これを積極的に受け入れ,同被告のために「かげ祓い」を行って昇殿参拝をさせた。
 また,同被告の求めに応じ,公的資格である「内閣総理大臣小泉純一郎」という名入りの一対の供花を調整し,祭壇に備えさせた。
 このように,被告靖国神社は,被告小泉が内閣総理大臣として同神社を公式参拝するのを積極的に受け入れた。

3.被告靖国神社による原告らの親族の合祀

 被告靖国神社は,以下の経過が示すとおり,被告国から特別の便宜供与を受けて,,遺族原告らの親族を第二次世界大戦の戦没者として合祀し続けている。
(1) 戦前
 戦前において,被告国は陸軍省で一定の基準を定め,戦没者が生じた時点で海軍大臣官房内に審査委員会を設置し,出先部隊長または連隊区司令官からの上申に基づき個別審査の上,陸海軍大臣から上奏裁可を経て合祀を決定した。決定は官報で公表さ
れ,合祀祭が行われた。
 このように,戦前,靖国神社への戦没者合祀はまさに被告国の行為として行われていた。
(2) 戦後
 戦後は,1945(昭和20)年,靖国神社に将来祀られるべき陸海軍軍人軍属等の招魂奉斎のための臨時大招魂祭が執行された。被告靖国神社は,同祭において招魂された「御霊」の中から,合祀に必要な調査のすんだ「御霊」を,1946(昭和21)年以降57回にわたって合祀してきた。
 この戦後の合祀は,被告靖国神社が敗戦後の第一,第二復員省の資料および旧厚生省からの通知に基づき,旧陸海軍の取り扱った前例を踏襲し,行っているものである。すなわち,被告国の機関であった旧厚生省は,被告靖国神社が民間の一宗教法人
として存続する途を選んだ後においても,戦前の例にしたがい,合祀対象となる第二次世界大戦の軍人軍属等の戦没者について,戦没者名簿を作成し,少なくとも1977(昭和52)年頃までは,これを毎年被告靖国神社に通知して合祀の便宜をはかっていた。
 一方,被告靖国神社の側も,戦前の陸海軍大臣からの上奏裁可に代わるものとして,被告国(旧厚生省)からの通知にしたがい,その名簿に記載された戦没者を毎年合祀してきた。
 このように戦後は,少なくとも1977(昭和52)年頃までは,被告国の特別の便宜供与を受けて,被告靖国神社の中核的宗教行為が成り立ってきたものである。遺族原告らの親族のうち,戦後に合祀された者は,このような被告国の行為により,祭神として靖国神社に祀られたものである。

4.違憲性

4−1.本件公式参拝の違憲性
(1) 靖国神社の宗教団体性
 靖国神社は,宗教法人法に基づき,東京都知事の認証を受けて設立された宗教法人であって,宗教上の教義,施設を備え,神道儀式に則った祭祀を行う宗教団体(宗教法人法2条,憲法20条1項)であり,神道の教義をひろめ,儀式行事を行い,また,信者を教化育成することを主たる目的とする神社というべきである(大阪高裁平成元年 (ネ)第2352号損害賠償控訴事件・関西靖国訴訟控訴事件1992年7月30日判決)。
(2) 本件公式参拝の宗教行為性
@ 靖国神社の本殿には礼拝の対象である祭神が奉斎されている。同神社の祭神は,原告らの親族を含む戦没者の霊である。
A 被告小泉は,前記のとおり,靖国神社本殿に昇殿,戦没者の霊を祀った祭壇に黙祷した後,深く一礼を行ったが,宗教法人の宗教施設において,その祭神に拝礼することは,典型的な宗教行為である。
(3) 靖国神社への強いこだわり
@ 被告小泉は,自民党総裁選中から,内閣総理大臣就任後終戦記念日に靖   国神社へ参拝することを明言し,固執し,これに再考を促す自民党内部からの意見にも,野党の批判にも,韓国,中国等からの中止要請にも耳を傾けようとしなかった。

A 一方,5月14日,衆院予算委員会での答弁で,被告小泉は,野党からの質疑に対し,戦没者の追悼のための儀式として,「終戦記念日に行われる政府主催の全国戦没者追悼式が不十分だと思ったことはない。」と答弁し,現に本件公式参拝後,8月15日の武道館における全国戦没者追悼式に出席し,式辞を読んでいる。
B このように,政府主催の全国戦没者追悼式が行われ,内閣総理大臣として自らこれに出席し,式辞まで読み上げ,戦没者を追悼する儀式として同式典が不十分だとは認識していないと明言しておきながら,なお被告小泉は,「戦没者にお参りすること
が宗教的活動と言われればそれまでだが,靖国神社に参拝することが憲法違反だとは思わない。」,「宗教的活動であるからいいとか悪いとかいうことではない。A級戦犯が祀られているからいけない,ともとらない。私は戦没者に心からの敬意と感謝をささげるために参拝する。」(5月14日衆院予算委員会での答弁)等と,靖国神社参拝に強くこだわった。
(4) 戦没者追悼の形
@ 政府主催の全国戦没者追悼式が毎年実施されており,被告小泉も国を代表してこれに出席したように,戦没者を追悼することは,宗教行為によることなく可能である。にもかかわらず,屋上屋を架すかのように,あえて内閣総理大臣としての靖国神
社参拝という形を加えなければならない理由は何もない。 仮に,被告小泉のいう「戦没者に敬意と感謝をささげる」ことが,追悼以上の何らかの意味を包含するものであっても,宗教に関わりなくすることが可能であり,まして,これをする形が内閣総理大臣としての靖国神社参拝以外にありえないというものではない。
A 愛媛玉串料違憲訴訟に関する最高裁大法廷判決(1997年4月2日)は,まさにこのことを,次のとおり明確に指摘している。
「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は,本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えられる。」
(5) 宗教的活動該当性
 戦没者の追悼,あるいは「戦没者に敬意と感謝をささげる」こと,さらにまた「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体」は,「特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができる」(前掲最高裁大法廷判決)にもかかわらず,被告小泉は終戦念日に,靖国神社に被告国を代表する内閣総理大臣として参拝することに強くこだわり,結局8月13日に本件公式参拝を行った。
 ところで,このような靖国神社への特別のこだわり,ないしかかわり合いをどう評価するかに関連して,前掲の愛媛玉串料最高裁大法廷判決は,次のように判示している。
 (愛媛県知事が靖国神社の例大祭,慰霊大祭に際し,毎年玉串料を支出してきたという)「本件においては,県が特定の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないのであって,県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない。これらのことからすれば,地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは,一般人に対して,県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており,それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え,特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない。」
 この愛媛玉串料違憲大法廷判決は,玉串料の支出という現場に出向かない行為ですら,県が靖国神社との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない,と断定しているのである。
 玉串料支出との比較からすれば,国民と世界が注視している中で,被告小泉が内閣総理大臣として靖国神社参拝を行った本件ではなおのこと,被告国が靖国神社との間にのみ,きわめて意識的に,特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない。
 同大法廷判決は続けて,県が特定の宗教団体である靖国神社に対してのみ,本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは,一般人に対して,県が靖国神社を特別に支援しており,靖国神社が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え,靖国神社という特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないと判断している。
 玉串料の支出ですらそうであるなら,被告小泉が被告国を代表して内閣総理大臣として靖国神社に本件公式参拝をするという形で特別のかかわり合いを持つことは,一般人に対して,被告国が靖国神社を特別に支援しており,靖国神社が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え,靖国神社という特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない。
 以上の事情から判断すれば,被告小泉が被告国を代表して内閣総理大臣として靖国神社に本件公式参拝をしたことは,愛媛玉串料違憲大法廷判決が県の玉串料支出を宗教的活動と判断したよりさらに明確に,その目的が宗教的意義を持つことを免れず,
その効果が特定の宗教に対する援助,助長,促進になると認めるべきであり,これによってもたらされる被告国と靖国神社のかかわり合いがわが国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものであって,憲法20条3項の禁止する宗教
的活動に当たる。
(6) よって,被告小泉が被告国の内閣総理大臣として敢行した本件公式参拝は,政教分離原則に違反し,明確に違憲である。
4−2.被告靖国神社の本件公式参拝受け入れの違憲性(1) 政教分離は,国家と宗教の分離,国家の非宗教性を意味し,各人の信教の自由を十全に保障するために,その自由と不可分の関係において,国家と宗教の分離が憲法的に命じられている(憲法20条,89条)。そして,この政教分離の憲法規範性(命令)は,国家と宗教の双方に向けられている。
 すなわち,国家に対しては,宗教上の行為,祝典,儀式または行事に参加することを強制すること(憲法20条2項),宗教教育その他の宗教的活動を行うこと(同3項),公金その他の公の財産を宗教上の組織・団体の使用,便益,維持のために支出し,またはその利用に供すること(憲法89条)が各禁止されている。
 他方,宗教に対しては,「いかなる宗教団体も,国から特権を受け,または政治上の権力を行使してはならない。」との禁止命令が,明文で規定されている。
(2) 以上のごとく,政教分離の憲法規範性(禁止命令)は,国家に対してのみではなく,「いかなる宗教団体」に対しても向けられていることに留意しなければならない。り,ここで,宗教団体が受けてはならない「国からの特権」とは,あらゆる特別または優遇的な地位,権利,利益,便宜供与を意味する。
(3) しかるに,被告靖国神社は,前述の通り,その祭神の決定について敗戦後も被告国から特別の便宜供与を受けてきた。そのような経緯を背景に,被告小泉の内閣総理大臣という公的資格による靖国神社参拝を受け入れたばかりでなく,同被告の供花
をも受け入れ,これを積極的に容認したものである。
(4) よって,被告靖国神社が,被告小泉による被告国の内閣総理大臣として行った本件公式参拝を何ら拒否することなく,受容した行為は,明らかに「国から特権」を受けたものであり,憲法20条1項後段に違反する違憲の行為である。

5.各請求の根拠

5−1.違憲確認の利益
(1) 従来の司法審査論は,実体法規の実体的基本権(自由権,社会権,参政権)適合性の審査論に偏ってきた。その結果,司法審査は,実定訴訟法の定める訴訟要件,訴訟類型をパスしてはじめて可能とされる。以上の「訴訟法の留保」とも言うべき現象が克服されなければならないことは,すでに述べたところである。
 そして,訴訟法の留保が克服され,実体的基本権が実効性をともなった法的権利であるためには,実体的基本権が侵害された者に対して,出訴適格(訴訟要件,訴訟類型)および適切な判決形式を含めて裁判的救済が保障されねばならず,憲法が実体的基本権を実効的なものとして保障しているとすれば,個別実体的基本権および「裁判を受ける権利」の憲法解釈を通じて,出訴適格および判決形式のあり方が得られる(棟居快行「人権論の新構成」より)。
(2) 本件において原告らは憲法20条3項によって保障された憲法上の実体的基本権が侵害されたのであり,これが出訴要件等によって憲法判断が回避されてはならない。
 本件公式参拝の違憲性についてはすでに述べたところであり,また,原告の実体的基本権が侵害されたものであることもすでにみたとおりである。
 そうであれば,損害賠償の前提のみならず,将来の違憲行為を繰り返さないために本件公式参拝が違憲であることが宣言されなければならず,したがって確認の利益がある。
5−2.損害賠償の根拠(原告らの権利,ないし法的に保護された利益の侵害)(1) 遺族原告にとっては,肉親が被告国によって戦争に駆り出されて命を奪われ,親から受けた命を全うできなかった一方で,生き長らえた自分がいるという重い事実が,自己の存在の基底をなしており,個人としての生き方に大きく係わってきた。
 この不条理な事実を咀嚼し,生き続ける意思を汲み上げるために,遺族原告ら各自が,肉親の死について,それぞれの宗教的立場(あるいは非宗教的立場)でこれを意味づけ,他人からの干渉・介入を受けず静謐な宗教的(あるいは非宗教的)環境のもとで,戦没者への思いを巡らせる自由は尊重・保障されなければならない。
 そして,その自由が侵害され生じた被害については,法的な保護が与えられなければならない(憲法20条1項前段,13条)。
(2) 戦没した当時,内地戸籍に登載されていたいわゆる「日本人」兵士は,大日本帝国憲法下での被告国の誤った政策の「犠牲者」であったと同時に,戦場となったアジア諸国の民衆にとっては,その生活を破壊し,数千万人もの命を奪った「加害者」でもあった。原告目録の原告番号1〜44の遺族原告らは,長年の思索を経てそのような信仰内容,思想信条を抱くに至っている。
 その意味で,遺族原告らは,戦没者の死を今も痛恨の思いで深く悼み続けてはいるが,決して被告国自身から,あるいはその代表者である内閣総理大臣から,敬意や感謝を捧げられるべきものとは考えていない。したがって,本件公式参拝によって遺族
原告らは,各自が肉親の死について,それぞれの宗教的立場(あるいは非宗教的立場)でこれを意味づけ,他人からの干渉・介入を受けず静謐な宗教的(あるいは非宗教的)環境のもとで,戦没者への思いを巡らせる自由を侵害された。
(2) 在韓の遺族原告らの,戦死した親族は,大日本帝国の植民地人民として,被告国の侵略戦争に駆り出された。被支配の民族であるにもかかわらず,アジア諸国の民衆に対する関係では,数千万人の生命を奪った加害行為に加担させられてしまった人々である。
 植民地人民を「加害者」へと統合していく過程としての皇民化政策は,異民族人民の民族性を徹底的に解体させる過程でもあった。在韓の遺族原告らは,自らの最愛の肉親が,植民地支配の犠牲者,被害者であるにもかかわらず,「侵略者」「加害者」にさせられ,未だその名誉を回復する機会を与えられていない。それどころか,現在に至るもなお被告国と同靖国神社によって,こともあろうに「英霊」として慰霊顕彰され続けている。
 これによって,在韓の遺族原告らの民族的人格権が深く傷つけられており,その苦痛は計り知れない。
(3) 遺族原告ら以外の原告らにとっても,被告小泉による本件公式参拝は深刻な苦痛をもたらすものであった。
 被告小泉が参拝に固執した靖国神社は,戦没者を祭神に奉斎し,英霊と讃えて慰霊顕彰している特定の宗教施設である。内閣総理大臣の被告小泉が本件公式参拝に固執したことはすなわち,被告国が戦没者を英霊として慰霊顕彰する靖国神社の特殊な信仰・思想を援助・助長・促進したものであり,その結果必然的に,原告らの有する信仰や思想に対する圧迫・干渉をもたらした。そのため,遺族原告ら以外の原告らに対しても,その信仰・思想信条に脅威を与えた。
 すなわち,原告らは,国家の命令は決して「殺すな」との普遍的道徳律を解除するものとは考えていない。被告国に命令されれば「殺す」ことも許され,英雄的行為となるというような考え方はできない。被告国の命令で戦争に出かけ,戦死すればただそれだけで「英霊」と褒めたたえられ,敬意を表されるのでは,いかなる道徳律も,宗教の教えも,深遠な思想も究極的な指針とならないと信じている。しかるに被告国の代表者である被告小泉は,「敬意を表するのは当然」と言い切ってはばからない。
そして,本件公式参拝を断行した。そのことによって,遺族以外の原告らは,被告国から,自己の信仰の中核,思想信条の核心に挑戦されている,これを捨てるように強制されているとの深刻な不安をかき立てられた。
 これは,原告らの宗教的(非宗教的)自己決定権の侵害である。
5−3.差止めの必要性
 本件公式参拝によって,原告らは前記のとおりの被害を被った。ところで,被告国の長である内閣総理大臣による靖国神社参拝は,これまでも根強い反対世論や,本訴同様の訴訟提起(しかも下級審においては違憲との判断もある)にもかかわらず敢行されてきた。
 また,被告内閣総理大臣は,終戦記念日ないしはその前後に靖国神社を参拝することを,一国の首相としての立場から当然に行うべきであるとの信念を持っているかのごとく発言をしていたことは,すでに引用したとおりであり,いかなる批判や反対をも押し切ってこれを団交する強い意思を有していることが明らかである。しかも,被告靖国神社自身も内閣総理大臣による公式参拝を強く求めている。
 従って,今後も被告内閣総理大臣による靖国神社公式参拝が繰り返し行われる恐れはきわめて強いことが明らかである。 本件における被侵害利益は,きわめてデリケートな精神的内面的世界に関するものであり,事後に損害賠償を求めて争う途があるというだけではその保護はきわめて不十分と言える。
 よって,原告らは,請求の趣旨2項記載のとおり,被告内閣総理大臣の靖国神社公式参拝行為の差止めを求める。

6.結論 

 よって,原告らは,
(1) すべての被告との関係で,本件公式参拝が違憲であることの確認を求め,
(2) 被告内閣総理大臣小泉純一郎を除くその他の被告に対し,被告国に対しては国家賠償法1条1項に基づき,その他の被告に対しては民法709条に基づき,(故意または重大な過失があった被告小泉についても民法709条に基づき),各自連帯して,原告らそれぞれに各1万円,および本件公式参拝の日である2001(平成13)年8月13日から完済まで,民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,
(3) 国家機関としての被告内閣総理大臣小泉純一郎,および被告靖国神社に対しては,靖国神社参拝の差止めを各求める次第である。

第3 予想される争点

1. 本件公式参拝の違憲性
2. 原告らのいかなる権利,ないし法的に保護された利益が侵害されたか
3. 違憲確認の利益
4. 差止めの必要性
5. 本件公式参拝について,被告靖国神社に責任はないといえるか

以上


平成13年(ワ)第11468号 靖国参拝違憲確認等請求事件

原 告  菅原龍憲ほか638名
被 告  小泉純一郎 外3名

準備書面1

(国際人権規約からみた原告らの被侵害利益)
                    平成14年2月22日

大阪地方裁判所
第3民事部乙1係  御中

原告らは後記のとおり,その侵害された権利・利益に関する訴状請求の原因での主張を補充する。

         原告ら訴訟代理人
           弁護士    井上二郎
                             外
                     (記名捺印欄は別紙)
         記

第1 国際人権規約の「宗教の自由」規定からみた本件参拝の違法性

1.はじめに

「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下「自由権規約」という)は
1976年3月23日に発効した。日本政府は,1979年6月21日これを批准し(但し,22条について解釈宣言をした),3か月後の同年9月21日,国内でも同規約が発効した。
 自由権規約の規定は原則として自動執行的性格を有し,国内法的効力を有する。同規約は,憲法に次いで,法律に優位して,日本の裁判所が適用しなければならない法規範である(1981年の国際人権規約委員会における日本政府の公的表明,大阪高
裁1989年5月19日決定等)。加えて,本件では以下の事情があるから,裁判所が本件訴訟の判断に当たって国際人権規約を適用すべき要請は一層大である。
 すなわち,本件訴訟は,原告にわが国の旧植民地(朝鮮半島等)の出身者を含むところに一つの特徴を有する。
 1945年の日本敗戦まで,被告国は旧植民地出身者に対しても,日本出身者に対するのと同様,靖国神社信仰を押しつけた。それどころか,その後も現在に至るまで,旧植民地出身者の戦死者を被告靖国神社が合祀し続けることに加担してきた。それが原告らを含む戦没者遺族にいかに耐え難い屈辱を強いているかについて,被告国は一向に省みることなく,重ねて内閣総理大臣による本件参拝にまで歩を進めているのである。自らの非行から目を背け,反省を知らない被告国のこのような態度に対して,在韓原告・在日原告はいたたまれず,本件訴訟を提起することを決意したものである。
 被告国による上記のような「思想,良心及び宗教の自由」の被害者,あるいは人格権侵害の被害者は,広く海を越えてアジア各地に生存している。在韓の原告らもその1部である。
 そこで,以下本書面では,基本的人権保障の国際的スタンダードとして合意されている自由権規約において,「思想,良心及び宗教の自由」がいかなる保護を受けるべきものとされているかを論じ,その視点から,原告らの被った権利ないし法的保護に値する利益の侵害,精神的苦痛,損害についての訴状請求の原因における主張を補充する。

2.自由権規約における「思想,良心及び宗教の自由」規定

 自由権規約18条は,「思想,良心及び宗教の自由」を保障している。同条2項は,「何人も,自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。」と規定する。これは,同条1項の「思想,良心及び宗教の自由」保障を実質化するため,個人に対する「自由を侵害するおそれのある強制」を排除せんとするものである。
 これを日本国憲法における「思想及び良心の自由」規定(憲法19条),「信教の自由」規定(20条)と比較すると,およそ「思想,良心及び宗教の自由を侵害するおそれのある強制」全てについて,排除の対象としている点において保障の範囲がより広い(信教の自由の保障に関する憲法20条2項は,「何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない」と,「参加の強制」を禁止しているのみである)。

  自由権規約18条の適用により,わが国においても,およそ「思想,良心及び宗
教の自由」を「侵害するおそれのある強制」はすべて禁止されると解すべきである。


3.「侵害するおそれのある強制」の解釈

(1) 自由権規約の解釈指針
自由権規約28条以下の規定に基づいて,「規約人権委員会」が設置されている。同委員会は,高潔な人格を有し,人権の分野において能力を認められた締約国の国民18名で構成される。その主な職務は,締約国から提出された報告を審査すること,並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約についての選択議定書(日本は未批准)に基づく,自由権規約に掲げられている諸権利の侵害の犠牲者であると主張する
個人からの通報を審理し,これに対する「見解」を送付することである。 規約人権委員会は,自由権規約の個々の条文を解釈するガイドラインとなる「一般的意見」を順次公表している。この「一般的意見」や前記「見解」は,自由権規約の解釈に当たって参照すべきものある。
B 18条に関する「一般的意見」,「見解」
 規約人権委員会は,1993年7月20日に採択した「一般的意見22」(自由権規約18条)において,締約国に対し,次のような指針を明らかにした。
1. 第18条1項の思想,良心及び宗教の自由(信念を有する自由を含む)……の根本的な性格はまた,規約第4条2項に述べられているように,この規定が公の緊急時にも効力停止されえないということにも反映されている。
2. 第18条は,いかなる宗教または信念も信仰しない自由のほか,有神論的,非神論的及び無神論的信念を保護する。信念及び宗教という語は広く解釈されるべきである。……委員会は,何らかの宗教又は信念を何らかの理由で差別するいかなる傾向をも憂慮する。これらには,それらが新たに設立され又は,支配的な宗教共同体の敵意の対象となりうる宗教的少数者であるということを含む。
3. ……
4. ……
5. ……第18条2項は,信者又は非信者に自らの宗教的信念及び集会に帰依すること,宗教及び信念を撤回すること又は改宗することを強制するための有形又は刑罰の使用及び脅迫を含め,宗教又は信念を有し又は受け入れる権利を侵害するような強制
を禁じている。例えば,教育,医療ケア,雇用へのアクセス,又は規約の第25条(政治に参与する権利――原告ら註)及びその他の規定で保障された権利を制約することのような,それと同様の意図又は効果を持つ政策又は慣行は,同様に,第18条2項に合致しない。非宗教的性格のすべての信念の持ち主も同様の保護を享受する。

(出典:「カウンターレポート作成ハンドブック《1996年版》社団法人自由人権協会発行」)
「侵害するおそれのある強制」の解釈に関し,本件で参考にできるような「見解」はまだ出ていない。

4.本件公式参拝は「侵害するおそれのある強制」
 (1) 原告らが有する「思想,良心及び宗教」
 訴状請求の原因で述べたように,原告らはそれぞれの経歴,体験,思索の結果として,概略次のような「信仰,信念」を有している。
 @ 戦没者遺族である原告らは,戦没者の死は被告国の誤った戦争政策によるものだと考えている。肉親の死が,その当の被告国ないしその機関である被告内閣総理大臣によって顕彰慰霊されるような死であったとは考えていない。そのように静かに受け止め,静謐な宗教的あるいは非宗教的環境の下で肉親への思いをめぐらせることを望んでいる。
 被告国ないしその機関である被告内閣総理大臣から敬意や感謝を捧げられたり,戦没死を意味づけられたりすることは受け入れがたい。
 A とりわけ在韓の韓国人遺族原告らは,上記のような「信仰,信念」に加えて,韓国人戦没者らが日本の侵略戦争に加担させられ,被支配民族であるにもかかわらず,アジア諸国の民衆に対する関係では「侵略者・加害者」にさせられたというはっきりとした認識をもっている。
 にもかかわらず,こともあろうに戦没「日本軍人・軍属」として靖国神社で日本の「英霊」として顕彰され,被告国ないしその機関である被告内閣総理大臣敬意から感謝を捧げられたり,戦没死を意味づけられたりすることは受け入れがたい。
 B 戦没者遺族ではない原告らも,国権の発動たる戦争によって,国の命令であれば人を「殺す」ことも許されるとか,それが「英霊」として祀られ英雄的行為となるといった考えは間違っているとの思想・信条を持っている。
(2) 原告らの上記「信仰,信念」を異端視した本件公式参拝
本件公式参拝は,以下述べるとおり,原告らの上記のような信念の撤回と,靖国神社信仰の受け入れを迫る「意図又は効果を持つ政策又は慣行」の実施に他ならない。

 そもそも,靖国神社への合祀は,戦没者遺族にも同意を得ることなく,被告国が(戦後は被告靖国神社が国の協力を得て)一方的に行ってきたものである。原告らの「信仰,信念」は初めから無視されている。
 加えて,被告小泉は,内閣総理大臣に就任する前からの政治的公約として,「内閣総理大臣になったら必ず8月15日に靖国神社参拝をする」ことを掲げてきた。例えば,「日本の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲の上に成り立っている。戦没者に対する
心からの敬意と感謝の気持ちを込めて,8月15日に参拝するつもりだ」(2001年5月10日,衆議院本会議代表質問の答弁),「よそ(他国)から批判されてなぜ中止しなければならないのか。首相として二度と戦争を起こしてはならないという気持ちからも参拝しなければならないし,参拝したい」(同月14日,衆議院予算委員会)と述べている。
 内閣総理大臣としての参拝に向けたこの強い姿勢の根底には,戦没者を靖国神社で顕彰・慰霊することにより,過去の戦争の歴史を直視せず,反省せず,被告国としてすべての戦没者およびその遺族に謝罪しないですませ,よって過去の戦争責任を水に流してしまおうという後始末の意図とともに,将来の戦争による戦没者の発生を予定し,これを同様に遇することによって「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起」った(憲法前文)との批判をかわす準備の意図が見える。
 また,「靖国神社は戦没者に対する慰霊の中心的施設という受け止め方が遺族に多い。そういう方々の心を無視するのはいかがなものか」(同年6月20日,党首討論)との発言も存在する。戦没者の遺族の中に靖国神社の支持者がどの程度存在する
のかも明らかでないままの感情論ではあるが,被告内閣総理大臣小泉の意図は明快である。同被告は,靖国神社に参拝してほしいという遺族の心に応え,これと相いれない「信仰,信念」を有する原告らを考慮の外に置いたのである。
 そして,被告内閣総理大臣小泉は,本件公式参拝を敢行した。この尊大さ・非寛容さは,まさに被告国が靖国信仰について被告国と異なる「信仰,信念」を有する人々を「非国民」扱いしたに他ならない。
 旧憲法下の日本における言論弾圧及び国家神道による思想統制は,日本人を「お上」に対して萎縮させるとともに,侵略軍隊及び銃後体制を容易に作り出す原動力となった。「非国民」とのレッテル張りはその象徴であった。その歴史的経験から,日本国憲法においては「信教の自由・政教分離の原則」を定め,人の精神面に大きな影響力を持つ宗教の分野において,特に政治の影響を排除すべきことが謳われているのである。
 それにもかかわらず,被告小泉は,原告らの精神面に深く踏み込む影響力をもって,前々から公言した上,靖国神社への本件公式参拝をあえて行った。それは,原告らに「靖国公式参拝に反対する人は理解できない」「日本人と言えない」「非国民」とのレッテル張りをしたことに他ならない。
 何よりそれを明確に示したのが,本件訴訟を提起したとの報道に接した被告小泉が,コメントを求められて首相官邸で発した「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話にならんよ。」との発言である。一国の首相が,正式な手続を経て訴訟を提起した原告らに対して,このように人格を無視した発言をしたのである。
 この発言は,マスコミ取材に対してなされたものである。当然,日本国内はもとより世界に向けて報道されることを十分わきまえての発言である。これは,日本の政治担当責任者が,被告靖国神社の特殊な信仰・思想とは相容れない「信仰,信念」を有する人々を権利行使の主体と認めず,排除の対象とする政策を実施し,これを国内外にアピールしたに他ならない。これを受けた日本国内の世論においても,同様の排除の意識が加速化された。
 このような敵意に満ちた攻撃的な発言を一国の首相から浴びせられた原告らが,「非国民」扱いされ,「排除の対象」とされたものとして,戦慄を覚えるのは当然である。
 このように,被告小泉による本件公式参拝が,原告らにとって,被告靖国神社の特殊な信仰・思想を拒む「信仰,信念」を維持する気力を失わせるに十分なおそれのある強制となっていることは明らかである。
 (3) まとめ
 本件公式参拝は,以上述べたように,国の機関である被告内閣総理大臣が前記のような「思想,良心及び宗教」を有する原告らを異端視することによって,原告らに,「宗教又は信念を撤回すること又は改宗する」「意図又は効果を持つ政策又は慣行」を実施したことに帰し,自由権規約18条2項に違反する。

5.結論

 以上のとおり,内閣総理大臣として行われた被告小泉の本件公式参拝は,明らかに自由権規約第18条2項に違反する違法な行為であり,原告らは「自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由」を侵害するおそれのある強制を受けたもる。
以  上 


小泉首相「おかしい人」発言損害賠償等請求事件訴状

2001年12月25日
大阪地方裁判所 御中
原    告    菅原龍憲
           外44名
被    告    小泉純一郎
           外1名

 後記のとおり訴えを提起する。

原告ら訴訟代理人(復代理人)
弁護士  井  上  二  郎
外14名

(記名捺印欄別紙)
( 証 拠 資 料 )
甲1〜5号証    いずれも2001年11月1日付け日本各紙夕刊記事
甲6,7号証    いずれも2001年11月3日付け韓国各紙朝刊記事

( 添 付 書 類 )
1 訴状副本 2通
2 甲号証写し 各3通
3 謝罪広告見積書       1通
4 訴訟委任状 45通

訴   額    金2239万2950円也
貼用印紙額   金  10万7600円也
予納郵券額   金     6900円也

訴額算定過程
損害賠償請求額   5万円×45人=225万0000円
謝罪広告費・日本各紙       1919万2950円
同  上 ・韓国各紙(算定不能)    95万0000円
(合計)         2239万2950円

 原告ら訴訟代理人目録
<省略>

被告目録
〒100-0013 東京都千代田区永田町二丁目3番1号 首相官邸
被      告   小  泉  純 一 郎
〒100-0013 東京都千代田区霞ケ関一丁目1番1号
被      告   国
代表者法務大臣   森  山   眞  弓

( 請求の趣旨 )
1.被告らは各自連帯して,
(1) 原告それぞれに対し,金5万円およびこれに対する2001(平成13)年11月1日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 別紙新聞目録記載の各新聞に,別紙謝罪広告目録記載のとおりの謝罪広告を各1回掲載せよ。
2.訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決,並びに第1項(1)につき仮執行の宣言を求める。

( 請求の原因 )
1. 被告小泉純一郎の靖国神社公式参拝
 被告小泉純一郎は,内閣総理大臣として,2001年8月13日,宗教法人靖國神社の経営する神道の宗教施設靖國神社(以下,靖国神社と表記する)に参拝した(以下,この参拝を「本件公式参拝」という)。

2.原告らの訴訟提起
(1) 大阪,松山,福岡での訴訟提起
 本件公式参拝につき,2001年11月1日午前,639名が大阪地方裁判所に(大阪訴訟),65名が松山地方裁判所に(松山訴訟),被告を小泉純一郎,内閣総理大臣小泉純一郎,国,靖国神社として,本件公式参拝の違憲確認,今後の公式参拝差し止め,国家賠償等を求めて訴訟を提起した。また,211名が福岡地方裁判所に国家賠償等を求めて同旨の訴訟を提起した(福岡訴訟)。
 別紙当事者目録記載原告番号1ないし33の原告らは大阪訴訟の原告らの,同目録原告番号34ないし35の原告らは松山訴訟の原告らの,同目録原告番号36ないし45の原告らは福岡訴訟の原告らの,各一員である(以下,これら3個の訴訟をあわせて「小泉靖国参拝違憲訴訟」という)。
(2) 小泉靖国参拝違憲訴訟における原告らの主張
 小泉靖国参拝違憲訴訟における原告らの主張は,概略以下のとおりである。
・ 自己の肉親が被告国によって戦争に駆り出されて命を奪われ,靖国神社に合祀されている原告らは,戦没者遺族として,肉親の死をそれぞれの宗教的立場,非宗教的立場から深く悼み続けている。
 しかし,他者,とりわけ国あるいはその代表者である内閣総理大臣から敬意や感謝を捧げられたいとか,肉親の死を意味づけされたいとは決して考えていない。むしろ,それぞれが静謐な宗教的あるいは非宗教的環境のもとで,肉親への思いをめぐらせることを望んでいる。本件公式参拝によってこの自由が侵害された。
 在韓の韓国人遺族である原告らは,その親族が日本の植民地人民として,侵略戦争に駆り出された当事者である。韓国人戦没者らは,数千万人の生命を奪った日本の侵略戦争に加担させられ,被支配民族であるにもかかわらず,アジア諸国の民衆に対す
る関係では「侵略者・加害者」にさせられた。その上こともあろうに,戦没「日本軍人・軍属」として靖国神社に合祀されて,「大日本帝国」のために戦死した「英霊」として顕彰され続けている。
 これによって,韓国人戦没者の遺族である原告らは,その民族の誇り,民族的人格権を著しく傷付けられ,その苦痛は計り知れないものがある。
・ 戦没者遺族の原告らはもとより,戦没者の遺族ではない原告らも,たとえ戦争であっても,国の命令であれば人を「殺す」ことも許されるとか,それが英雄的行為となるといった考えは間違っているとの思想・信条を持っている。それは死生観と密接不可分の,原告各自の思想・信条の根本的部分であり,憲法20条と同法13条で保障された宗教的あるいは非宗教的自己決定権の中核的内容である。
 本件公式参拝は,同参拝前後に行われた被告小泉の繰り返しの政治的信念吐露とあいまって,戦没者を「神」として「英霊」として慰霊顕彰する靖国神社の特殊な信仰・思想を,国が支持することを内外に公に表明し,もってこれを援助・助長・促進し
たものである。
 その結果原告らは,それぞれが持つ宗教的あるいは非宗教的思想・信条・死生観に対する圧迫・干渉・脅威を受けた。「国の命令による破壊と殺人」という本質を免れない戦争,その戦争に駆り出されて戦死すれば,靖国神社が「神」として「英霊」として慰霊顕彰してくれ,しかもその仕組みを国が援助・助長・促進するというのでは,それぞれが有するいかなる道徳律も,宗教的あるいは非宗教的自己決定権も成り立ちえない。
 原告らは,本件公式参拝によって各自が有する宗教的あるいは非宗教的自己決定権を侵害された。

3.被告小泉純一郎の不法行為

(1) 被告小泉純一郎の行為
 原告らが小泉靖国参拝違憲訴訟を提起したことは,直ちに被告小泉に伝えられた。

 被告小泉は,同日午前,首相官邸において,記者団から小泉靖国参拝違憲訴訟についてコメントを求められ,「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話にならんよ。」と,訴訟の内容についてよりも,訴訟を提起した原告らについて,上記のとおり「話
にならないおかしい人たち」と非難した(甲1〜5号証。以下,この発言を「本件発言」という)。
(2) 本件発言の違法性,損害
 原告らの前記主張内容とはまったく無関係に,訴訟を起こした原告らそのものを「話にならないおかしい人たち」と非難した本件発言は,以下のとおり,原告らを著しく侮辱するものであり,かつ原告らの名誉を毀損するものである((2)−1)と同時に,原告らの裁判を受ける権利を侵害するものであって((2)−2),不法行為を構成する。
(2)−1 名誉毀損
 「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだBもう話にならんよ。」という本件発言は,記者たちの求めに応じてしたコメントであるから報道を前提としている。かつ,小泉靖国参拝違憲訴訟の原告らに関して,「話にならないおかしい人」であると,事実を摘示してもっぱら人格的非難,揶揄,中傷を行ったものである。
 同発言は明らかに,自己が被告とされた訴訟の内容そのものに関するコメントではなく,人身攻撃にほかならないから,被告小泉個人として,あるいは被告内閣総理大臣ないし被告国として,許される正当な論評の範囲を逸脱している。
 原告らは,本件発言によってその名誉感情を傷付けられ,かつ社会から受ける人格的評価を低下させられ,名誉を毀損された。
(2)−2 裁判を受ける権利の侵害
 ・ われわれは等しく,「裁判を受ける権利」を有する(憲法32条)。裁判を受ける権利は,すべての人が平等に,政治部門から独立した公平な裁判を受ける権利であり,これは市民の権利自由を確保するために重要・不可欠な権利であり,いわば権利実現のための権利として位置づけられている。
 したがってまた,裁判を受ける権利は三権分立制度を根底から支えるものであり,とりわけ政治部門のなす非違行為から市民の権利自由を守る砦として機能することが制度的に要請されているものである。そして,近代的な司法権にとって最も重要な原
則は,裁判が政治的な圧力・干渉を受けずに,法に基づいて厳正・公正に行われなければならないということである。
 このことから,政治部門が具体的な裁判に関して干渉にわたる行為・言動をなすことの禁止が,強く要請される。とりわけ,国家機関それ自身が裁判の当事者となっている場合には,この要請はより一層強く働く。
・ 原告らが被告小泉純一郎と国らを被告として小泉靖国参拝違憲訴訟を提起したのは,すでに2項で述べたとおり,自らが被った被害の回復等を求めて,憲法によって保障された上記「裁判を受ける権利」を真摯に行使したのである。
 そのような原告らについて,「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話にならんよ」とした本件発言は,裁判一般ではなく具体的な裁判となっている本件小泉靖国参拝違憲訴訟の原告らについて,政治部門の中枢にあり国の機関であり,国を代表する内閣総理大臣被告小泉純一郎が,これを揶揄,中傷したものであって,政治部門が具体的裁判に干渉することを禁止する前記要請に反して明らかに違法である。その違法の程度はきわめて強い。
 原告らは,本件発言によって,裁判を受ける権利を侵害された。
(2) −3 損害額
 名誉毀損,および裁判を受ける権利の侵害は,原告らの人格に対する攻撃として原告らの心に深刻な傷を残した。その精神的苦痛を仮に金銭に換算すると,原告ら各自につき金5万円を下らない。

4.本件発言の公務性

 被告小泉純一郎は,首相官邸において,内閣総理大臣として本件発言をなしたものであるから,本件発言は「その職務を行うについて」(国賠法1条1項)なされたものである。

5.被告らの責任原因

(1) 被告小泉
 被告小泉純一郎は,きわめて悪質な人身攻撃であり,裁判上予断を与える本件発言を故意に行ったものであり,したがって,自らも民法709条に基づき,原告らに対し,本件発言により原告らが受けた名誉毀損と,裁判を受ける権利の侵害による損害を賠償する義務がある。
 また,これと共に,損害賠償のみでは十分には回復されない原告らの名誉を回復する適当な処分として,同法723条に基づき,本件発言が報道された日韓の主要各紙に謝罪広告を出す義務がある。
(2) 被告国
 被告国は,公務員である被告小泉純一郎がその職務を行うについて,故意にかつ違法に本件発言をしたのであるから,国家賠償法1条1項に基づき,本件発言により原告らが受けた後記損害を被告小泉純一郎と連帯して賠償する義務がある。
 また,国家賠償法4条によって準用される民法723条に基づき,謝罪広告を出す義務がある。

6.結論

 よって原告らは,被告らに対し,前記各責任原因に基づき,請求の趣旨第1項(1)記載のとおり,原告各自につき金5万円の損害賠償,およびこれに対する本件不法行為の日である2001年11月1日から支払い済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求め,あわせて,同項(2)記載のとおり,謝罪広告の掲載を求める次第である。
以  上

新聞目録
(日本の新聞)
   朝日新聞,毎日新聞,讀賣新聞,日本経済新聞,産経新聞の各全国版
(韓国の新聞)
   東亜日報,朝鮮日報,中央日報,ハンギョレ新聞の各全国版

謝罪広告目録
1.体裁(大きさ)
   (日本の新聞)
    2段 × 15センチメートル
   (韓国の新聞)
    10センチメートル × 20センチメートル程度 
2.広告文
(1) 私小泉純一郎は、2001年11月1日、首相官邸において、私が同年8月13日に、内閣総理大臣として靖国神社に公式参拝したことに対して、同日、大阪、松山、福岡の各地方裁判所に、違憲確認、損害賠償、靖国神社公式参拝の差止の訴訟を提起された原告の皆様について、「話しにならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話しにならんよ。」と発言しました。
(2) 私のこの発言は、原告の皆様のそれぞれが有している静謐な宗教的あるいは非宗教的な人格権の行使に対して、それを異端視し、原告の皆様の裁判を受ける権利に干渉したばかりでなく、原告の皆様の人格を著しく侮辱し、名誉を毀損しました。
 とりわけ、在韓国原告の皆様の親族は、日本の植民地支配の結果、日本の侵略戦争に駆り出され、被支配民族であるにもかかわらず、日本の加害行為に加担させられ、あまつさえ、靖国神社に、A級戦犯者と共に「英霊」として顕彰され続けています。
私の今回の発言は、在韓国の原告の皆様に対して、痛苦な歴史的事実を省みることなく、二重三重の苦しみを与え、人格を著しく侮辱し、かつ名誉を毀損しました。
(3) 私の今回の発言は、内閣総理大臣としてあるまじき暴言であり、原告の皆様に対して、皆様の名誉を回復するために、深くお詫びいたします。
年  月  日
小泉純一郎
日本国内閣総理大臣 小泉純一郎
小泉靖国参拝違憲訴訟の原告各位

                                              
 
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