「靖国神社を訴えるのは不当」=戦没者遺族らが訴訟に参加へ−大阪地裁

 昨年8月の小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐり、戦没者の遺族や宗教家ら639人が首相と国、靖国神社を相手取り、慰謝料の支払いや公式参拝の差し止めなどを求めている大阪地裁の首相靖国参拝違憲訴訟について、戦没者遺族ら6人が22日、「靖国神社を訴えるのは不当」として、訴訟に補助参加する申立書を同地裁に提出した。同地裁は同日、この申し立てを受理。26日の第2回口頭弁論で、原告側の異議がなければ訴訟に参加できる。
 参加を申し立てたのは、夫が戦死した岩井益子さん(83)=大阪市住吉区=や元海軍兵士の行岡豊さん(75)=三重県白山町=ら6人。 


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平成13年(ワ)第11468号 靖国参拝違憲確認等請求事件  
原 告  菅原龍憲    外638名  
被 告  小泉純一郎 外3名        
       
補助参加の申立書
       
平成14年4月22日 
大阪地方裁判所第3民事部乙1係 御中     
    
申立人の表示  別紙申立人目録記載のとおり

平成14年4月22日
大阪地方裁判所第11民事部合議係 御中
(送達場所) 
住所(略)
         申立人ら代理人弁護士  徳   永   信 一 

申立人(補助参加人)ら代理人
               弁護士  徳   永   信   一
                弁護士  稲   田   朋   美
弁護士 松 本 藤 一
住所(略)
         申立人(補助参加人) 岩   井   益   子
住所(略)  
          申立人(補助参加人) 行   岡       豊
住所(略)
申立人(補助参加人) 白   井   恭   二 
住所(略)    
          申立人(補助参加人) 中    村    元   三
住所(略)
申立人(補助参加人) 本 田 達 雄
住所(略)
          申立人(補助参加人)  山   本       明
住所(略)
          申立人ら代理人弁護士  徳   永   信 一 
住所(略)
          申立人ら代理人弁護士  稲   田   朋    美
住所(略)
申立人ら代理人弁護士 松 本 藤 一


第1 申立の趣旨              
申立の趣旨

 上記原被告間の頭書事件について、申立人らは、被告靖国神社を補助するため、訴訟に参加する。
     
第2 申立の理由  
申立の理由 
 
1 本件訴訟    
 上記事件は、首相の靖国神社参拝に反対する政治的信条、思想を有する原告らが、国、小泉純一郎及び靖国神社を被告とし、被告小泉純一郎による平成14年8月13日の靖国神社参拝が憲法に違反することの確認を求め、同参拝によって原告らの「宗教的(非宗教的)人格権」ないし「民族的人格権」あるいは「宗教的自己決定権」なる権利が侵害されたことに対する慰謝料1万円の支払いを求め、併せて、被告国及び被告小泉純一郎の靖国神社参拝の差止並びに靖国神社による首相参拝の受け入れの差止を求めるものである。
 首相の靖国神社参拝の違憲確認ないし差止をもとめる訴訟は過去にも提起されているが、本件訴訟は靖国神社を被告とし、靖国神社が内閣総理大臣の参拝を受け入れることの差止まで求めている点で前代未聞のものである。
 上記事件は、首相の靖国神社参拝に反対する政治的信条、思想を有する原告らが、国、個人又は内閣総理大臣としての小泉純一郎及び靖国神社を被告とし、被告小泉純一郎による平成14年8月13日の靖国神社参拝が憲法に違反することの確認を求め、同参拝によって原告らの宗教的人格権(肉親の死について、それぞれの宗教的・非宗教的立場でこれを意味づけ、他人からの干渉・介入を受けず静謐な宗教的・非宗教的環境のもとで、戦没者への思いを巡らせる自由)ないし民族的人格権あるいは宗教的自己決定権なる権利が侵害されたことに対する慰謝料の支払いを求め、併せて、被告国及び被告小泉純一郎の靖国神社参拝の差止並びに靖国神社による首相参拝の受け入れの差止を求めるものである。
 首相の靖国神社公式参拝により宗教的人格権等が侵害されたことを理由とする訴訟は過去にも提起されているが(大阪地判平成元年11月9日、大阪高判平成4年7月30日、福岡地判平成元年12月14日、福岡公判平成4年2月28日、大阪高判平成5年3月18日/いずれも請求棄却)、本件訴訟は宗教法人である靖国神社を被告に加え、靖国神社が首相の参拝を受け入れることも違法であると断じ、差止を求めている点で前代未聞のものである。   
    
2 申立人ら
(1) 本件訴訟において靖国神社の補助参加人となるべく本申立に及んだ申立人らは以下のとおりである。  
@ 申立人岩井益子(以下「申立人岩井」という)は、大正8年2月28日生まれの戦争未亡人であり、同人の夫清一は大東亜戦争終結を目前にした昭和20年6月29日、ルソン島で戦死した。
A 申立人行岡豊(以下「申立人行岡」という)は、大正15年7月11日生まれの元海軍の兵士であり、昭和17年ガダルカナル島で陸戦に参加し、多くの戦友の死を見取り、死を前にした戦友との「靖国で会おう」との約束を果たす義務があると考えている。
B 申立人白井恭三(以下「申立人白井」という)は、昭和18年7月31日生まれのキリスト教徒であり、同人の父は昭和20年4月18日、沖縄戦において戦死した。
C 申立人中村元三(以下「申立人中村」という)は、大正9年7月9日生まれの元陸軍の志願兵であり、上海軍司令部に配属され、同所で終戦をむかえ、昭和21年復員した。
D 申立人本田達雄(以下「申立人本田」という)は、昭和14年3月22日生まれのカメラマンであり、同人の父は昭和19年1月30日、パラオ諸島沖において、同人の伯父は終戦直前の昭和20年8月7日、ビルマにおいていずれも戦死した。
E 申立人山本明(以下「申立人山本」という)は、大正8年3月5日生まれの元陸軍の将校であり、終戦をむかえた満州の孫呉でソ連軍に拘束され、昭和31年に復員するまでシベリアに抑留され強制労働に従事した。  

(2) 以上のとおり、申立人らはいずれも大東亜戦争に出征した将兵ないし同戦争において戦死した将兵の遺族である。そして申立人らの近親者または戦友たちは靖国神社において英霊として祀られている。 
 申立人らは、それぞれ自らの信仰・信条の発露として靖国神社を崇敬し、そこに祀られた英霊に対する感謝と尊敬を片時も忘れたことがない。今日の日本の安寧は国難に殉じた将兵らの尊い犠牲のうえになりたっているからである。平和の礎となった英霊を偲び慰霊することは日本人の民族的・道徳的責務であり、首相が靖国神社に参拝することは、将兵らに靖国神社での祭祀を約して出征を命じた政府の代表者としての義務だと考え、その恒久的な実施を望んでいる。
 申立人らの靖国神社と英霊に対する想い、本申立に至った心情等については別添の陳述書のとおりである。 
申立人岩井益子、同本田達雄、同白井恭二は、いずれも大東亜戦争に出征して戦死した将兵の遺族であり、同行岡豊、同中村元三、同山本明はいずれも自ら将兵として出征した者達である。申立人岩井の亡夫、同本田の亡父、同白井の亡父は、靖国神社において英霊として祀られている。
 申立人らは、日本人の今日の安寧が戦争で死んだ将兵らの尊い犠牲のうえになりたっており、靖国神社において英霊として祀られている将兵の御霊に対して敬意と感謝を捧げることは、日本人の民族的責務だという信念を共有しており、それぞれ自らの宗教的自己決定権の発露として、英霊と靖国神社を崇敬している。
 申立人らは、首相である小泉純一郎が靖国神社に参拝して英霊を慰霊することは、将兵に御霊の祭祀を約束して出征を命じた日本政府の代表者として当然の責務であると考え、その実行を心の底から熱望している。

3 訴権濫用による靖国神社の冒涜  
 原告らは、その訴状において、靖国神社をめぐる歴史的、文化的背景に対する誤解と偏見に基づき、靖国神社を、国民を戦闘に駆り立てる「軍事施設」であり、「血ぬられた天皇の祭殿である」などと中傷したうえ、戦没者を「英霊」として慰霊・顕彰することが、憲法の「個人の尊厳」原理に反するかのような批判を行い、祭神の選択が靖国神社の宗教的活動の中核であることを認めながら、一部の遺族による「英霊」の合祀取消要求に応じないことをもって「靖国神社の傲慢」と断じるなど、倒錯と矛盾に満ちた独善的態度をもって、靖国神社と「英霊」に対してあらんかぎりの侮辱的言辞を浴びせかけている。
 そこには、国のために死んでいった「英霊」に対する一片の感謝も敬意もみられず、多くの遺族、国民が靖国神社に抱いている畏敬の念に対する配慮は微塵もない。
それはまさしく裁判という場を借りた政治的信条の宣伝であり、靖国神社と「英霊」に対する冒涜にほかならない。 
 また、戦死した将兵らに対する慰霊は、どの国でも行われている普遍的行事であり、御霊の祭祀は「お盆」にみられるように我が国の国民的習俗である。
 しかも靖国神社における慰霊は戦死した将兵らに対する国の約束であった。政府を代表する首相が、靖国神社に参拝し、「英霊」に敬意と感謝を捧げて慰霊することは当然のことであり、国と宗教との過度の関わりを排する政教分離規定に何ら反するものではない。
 ましてや宗教法人である靖国神社による首相の参拝受入れを違法と断じる原告らの独善的主張は、靖国神社の存立とその宗教的活動の自由を頭から否定するものであって認容される余地がないことは余りにも明らかである。

3 訴権の濫用および靖国神社に対する冒涜  
(1) 本訴による冒涜と侮辱  
 原告らは、その訴状において、靖国神社をめぐる歴史的、文化的背景に対する誤まった思い込みと偏見に基づく独自の意味づけを行い、靖国神社を、国民を戦闘に駆り立てる「軍事施設」であり、「血ぬられた天皇の祭殿である」などと誹謗したうえ、戦没者を英霊として慰霊・顕彰することが、憲法の「個人の尊厳」原理に反するかのごとき皮相な暴論を開陳している。 また、祭神の選別と祭祀が靖国神社の宗教活動の中核部分であることを認めながら、一部の遺族が要求している合祀取下げ(英霊の祭祀取り止め)に応じないことをもって「靖国神社の傲慢」とするなど、矛盾と倒錯に満ちた独善的態度をもって、靖国神社と英霊を誹謗し、これを崇敬・信仰する申立人らを侮辱している。 
 そこには、国のために殉じた英霊に対する一片の敬意もみられず、多くの遺族・国民が靖国神社に抱いている畏敬の念に対する配慮は微塵もない。それはまさしく裁判という場を借りた原告らの政治的信条の宣伝と押し付けであり、もって靖国神社と英霊を冒涜するものにほかならず、申立人らは、全身が震えるほどの激しい怒りを感じている。 
(2) 首相の参拝と政教分離  
 原告らも認めているとおり、我が国には戦争で命を落とした将兵を靖国神社において英霊として祀り慰霊・顕彰することを固く約束していたという事実がある。多くの将兵が近親者および戦友たちに「靖国で会おう」と言い残して散華していった。政府を代表する首相が、靖国神社に参拝して散華した将兵らの御霊に感謝と敬意を捧げて慰霊することは人道上の義務であり、当然の責務であると多くの国民は感じている。 
 戦死した将兵らの慰霊・顕彰は、万国共通にみられる普遍的儀礼であり、祖霊・御霊の祭祀は「お盆」などにみられるように我が国古来の国民的習俗である。そもそも政教分離が、国家と教団との過度の関わりを排し、信教の自由の保障を目的とする制度であることに照らせば、万国共通の儀礼である戦没者の慰霊を民族的習俗にのっとって行うことを排斥するものではないことは明らかである。
 靖国神社は人種、宗教、民族の如何を問うことなく、万人に等しく開かれており、多くの外国人、仏教徒、クリスチャンが参拝している。靖国神社にとって首相の参拝を拒否する理由はない。首相の参拝を受け入れたことを違憲と断じ、その差止めを求める原告らの主張は、宗教法人である靖国神社の存立と宗教活動の自由を否定するものであり、それにとどまらず、あらゆる宗教法人ないし宗教施設に対し、予め参拝者の資格を確認し、公人であればこれを拒否する義務を課すことを意味する。かかる独善的な訴えが容認される余地はない。
(3) 訴権の濫用  
 おもうに、自らの宗教的人格権等の主観的権利を侵害されたとして、靖国神社を被告として訴訟を提起し、その審理の場を借りて独自の世界観と政治的信条を振りかざして靖国神社を誹謗し、その宗教活動の自由まで否定しようとする原告らの行為は、まさしく「もっぱら相手方当事者を被告の立場に置き、審理に対応することを余儀なくさせることにより、訴訟上又は訴訟外において相手方当事者を困惑させることを目的とし、訴訟が係属、審理していること自体を社会的に誇示することにより、相手方当事者に対し有形、無形の不利益・負担若しくは打撃を与えることを目的と」するものであって、その訴えは民事訴訟制度の趣旨に反して訴権を濫用するものであることは明白である。
 被告靖国神社に対する訴えはただちに却下されるべきである(最判昭和53年7月10日/民集32-5-888、東京高判平成13年1月31日/判タ1080-221)。
            
4 参加の利益     
(1) 宗教的人格権等の権利 
 原告らが主張している宗教的人格権、民族的人格権、宗教的自己決定権は、基本的には個人の人格と密接に結びついた宗教的信仰・信条ないし民族的アイデンティティに関わる主観的な権利ということと解され、それが基本的人権に由来するものとされる以上、原告らとは異なる信仰・信条を有する申立人らも等しく享受しているはずである。 
(2) 申立人らの人格的権利  
 前述したように、申立人らは、それぞれ自らの信条の発露として靖国神社を崇敬し、そこに祀られた英霊に対する感謝と尊敬を片時も忘れたことがない。今の平和の礎となった英霊を偲び慰霊することは日本人の民族的・道徳的責務であり、首相が靖国神社に参拝することは、将兵に出征を命じた政府の代表者としての義務だと考えている。外圧等によって首相による公式参拝が思うに任せない今の政治状況を深く憂い、これを変革していくことをもって、自らの責任だと自覚している。こうした宗教的信念・民族的信条は、申立人らの人格的自律の中核と結びついており、その宗教的人格権ないし民族的人格権の内容を構成している。      
(3) 訴訟の結果と法的利益     
 靖国神社に対する訴えが靖国神社と英霊に対する冒涜であり、これを崇敬・信仰する申立人らに対する侮辱であることは前述したとおりである。同訴えは速やかに却下されるべきであるが、その審理が継続する間は、公の場における靖国神社に対する誹謗と申立人らへの侮辱は続くことになる。かかる状況の中、申立人らがかろうじて精神の平衡を保ちえているのは、万に一つも原告らの訴えが認容される可能性がないという予測においてである。
 しかし、万一、予測が裏切られ、靖国神社が敗訴するような事態になれば、靖国神社の存立と英霊の祭祀は危うくなり、これを崇敬する申立人らの人格は根底から揺るがされることになる。そのとき申立人らが被る精神的苦痛は、小泉首相の靖国参拝によって原告らが被ったという苦痛を何千倍も上回る。まさしく裁判所という国家機関の命令によって申立人らの宗教的人格権・民族的人格権が侵害されることになるのである。申立人らが、靖国神社に対する原告らの訴えの結果につき、重大な法的利益を有することは明らかである。 

5 申立に至る事情
 中曽根内閣が外国の内政干渉に屈して参拝を中止してから、長らく首相による靖国神社公式参拝は途絶え、その恒常的実施を求める多くの遺族・国民の願いは踏みにじられてきた。昨年、国民的期待を背負って内閣総理大臣に就任した小泉純一郎も、国民に対して終戦記念日における靖国神社参拝を公約しながら、遂にこれを実行できなかった。
 日本政府が英霊をおざなりにしてきたことは、靖国神社参拝にみられるこうした優柔不断な姿勢に限らない。南方・北方の戦場に散った英霊の遺骨の多くを現在も戦場に放置したまま、その回収と慰霊を怠っていることにもはっきりと表れている。  
 
 前述のように申立人らは、靖国神社に対する今回の訴えに対し、激しい怒りを感じているが、他方、尊い命を国に捧げた英霊をおろそかにしてきた政府に対しても、深い憤懣を抱いており、日本の将来を心から憂いている。聞くところによれば、政府は本件訴訟に対し、昨年の小泉首相の参拝は「私的参拝」であって「公式参拝」ではないとの論理をもって対処しようとしているようである。
 過日、来日した米大統領が明治神宮を参拝した折り、小泉首相は米大統領の参拝が終わるまで公用車の中で待機していたという。この事件は、我が国における政教分離の考え方が世界の常識に照らし、いかに奇怪なものとなっているかを象徴するものとなったが、国賓に対する礼儀を失した対応は、首相の「公式参拝」をめぐる批判をかわすことに汲々としている政府の姑息な訴訟対策に由来するものであった。  
 仮に、本件訴訟の請求が退けられたとしても、それが「私的参拝」であったことを理由とするものであれば、公人による靖国神社をはじめとする宗教施設への参拝は、その後も常に「私的か公的か」という不毛の議論に縛られることになることは必定である。
 思えば、今回の靖国神社に対する訴えは、こうした当面を糊塗して切り抜ければよいという、いかにも役人的な政府の姿勢が招いたものではないのか。遺憾ながら、政府の立場で本件訴訟を担当する訟務検事らにおいても、靖国神社の祭祀と政教分離に対する確たる信念や使命感をもって訴訟遂行にあたるものとは期待しがたい状況がある。申立人らは、自ら立ち上がって靖国神社と英霊に対する国民の思いを裁判所に伝えなければならないと考えるに至った。
 よって、申立人らは訴権を濫用してなされた原告らの靖国神社に対する不当な訴えを速やかに退けることを目的とし、本件審理の過程において靖国神社と英霊の祭祀にかかる原告らの偏見と誤った決め付けをただし、その文化的、歴史的および民族的実相を詳らかにするとともに、政教分離にかかる憲法論議を整理して不毛な論争に終止符をうつべく本申立に及ぶ次第である。



                                     
 
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