05/06/09

靖国分祀が無理なこれだけの理由
事実誤認に基づく不見識を糾す
国学院大学教授・大原康男
 

 六月三日、都内で開かれた講演会において、中曽根康弘元首相は小泉純一郎首相の靖国神社参拝について、「A級戦犯の分祀(ぶんし)が現実的な解決法だろう」と述べ、さらに「分祀に時間がかかるなら、参拝をやめるという決断も一つの立派な決断だ」とも付け加えた。その二日前には、河野洋平衆議院議長が議長公邸で森喜朗前首相ら首相経験者五人と懇談し、参拝は「慎重の上にも慎重に」との認識で一致したと報じられており、中曽根氏の発言はこれを受けてのことであろう。
 「A級分祀」については、五月二十九日にも中川秀直衆院自民党国対委員長と与謝野馨自民党政調会長が言及しており、過去に何度となく浮かんでは消え、消えては浮かんだ愚論が、またぞろ顔を現したというわけである。私自身、これまでこの問題について繰り返し繰り返し、書いたりしゃべったりしてきたので、自分の無力さをいまさらながら恥じつつも、正直言っていささかうんざりした気分なのだが、事態がこうなった以上、煩瑣(はんさ)をいとわず、あえて持論を重ねることにしたい。それもわかりやすく個条書き風に…。
 (1)「分祀」とは「分霊」のことで、ある神社のご祭神の御霊を分けていただいて、別の神社に鎮め祀(まつ)ることである。「分霊」されたからといって元の神社の御霊(本霊)がなくなってしまうわけでは決してない。それはろうそくの灯を別のろうそくに移したところで、元の灯は消えることなく、そのまま燃え続けていることに喩(たと)えられ、一旦お祀りしたご祭神を外すことなど端(はな)からできない相談である。
 (2)“A級戦犯”の合祀(ごうし)は靖国神社の恣意(しい)によってなされたのではない。そもそも占領終結後の靖国神社の祭神合祀は、靖国神社の照会に応じて、その都度厚生省(現厚労省)が合祀予定者の選考基準を決定し、その基準に従って都道府県が合祀予定者を選考し、祭神名票というカードに該当者の身上を記載して厚生省に送付、厚生省はそれをまとめて靖国神社に送り、靖国神社はそれに基づいて合祀する−という官民一体の共同作業によってなされた。A級合祀もこの手順によって行われた。すなわち、昭和四十一年二月八日付「靖国神社未合祀戦争裁判関係死没者に関する祭神名票について」(引揚援護局調査課長通知)によって送られてきた祭神名票に基づいて合祀されたのである。「靖国神社が自発的に分祀を」という中川発言は天に唾するようなものではないか。
 (3)毎年八月十五日に日本武道館で行われる「全国戦没者追悼式」では当初からA級・BC級を問わず、“戦犯”も追悼の対象とされてきた。これに歴代の首相が参列し追悼の詞を述べてきたが、何ら問題とされていない。なぜ靖国神社参拝だけが問題とされるのか。所管責任者で厚相として参列したことのある靖国参拝反対論者の菅直人民主党議員にも、坂口力公明党議員にも問うてみたい。
 (4)仮に「分祀」が可能であるとして、A級を分祀したとしても解決には至らない。次はBC級を分祀せよとの要求が出てくるのは間違いない。なぜなら「人民日報」(昭和六十年八月十五日付)や中国官営の英字紙「チャイナ・デーリー」(平成十一年十一月十二日付)は靖国神社に合祀されているすべての“戦犯”を問題にしているからである。
 (5)政府・自民党の中にはA級合祀は「極東国際軍事裁判」を受諾した対日講和条約第十一条に抵触するかのような言説を述べる者がいるが、西村熊雄外務省条約局長(当時)の国会答弁でも明らかなように、本条の趣旨は条約発効後も判決の効力を維持し、赦免や減刑・仮出獄などについては連合国の同意を得て行わなければならない、ということに過ぎない。
 したがって、昭和三十三年五月末日をもって、すべての“戦犯”が釈放された時点で本条の使命は終わっており、刑の執行とは関係のないところで“戦犯”をどのように処遇するかは主権回復後の日本人の自由意志に委ねられる純然たる国内問題なのだ。
 この他にもまだまだ反駁する材料はあるが、紙数の関係からこの程度にとどめておくとしても、「分祀」論がいかに誤った事実認識に基づく不見識な代物であることはこれだけでもおわかりであろう。こんな妄論に惑わされることなく、小泉首相は毅然として参拝を続けてほしいとあらためて望む次第である。



 
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