脱戦後民主主義体制 下剋上こそ日本社会における民主主義の素晴らしき形態!と、主権回復?


安倍首相が硫黄島訪問 "遺骨収容を加速"


安倍総理は太平洋戦争で戦死した日本兵の遺骨が眠る硫黄島を視察し、遺骨の収容事業を加速化させる意向を示しました。
安倍総理は、東京から南に1250キロ離れた硫黄島を訪問しました。
第2次世界大戦で多くの日本兵が戦死した硫黄島は、1968年にアメリカから返還された後、自衛隊の航空基地となっていますが、
いまだに1万1000人余りの遺骨が残されています。安倍総理は遺骨の収容事業が行われている現場を視察し、戦没者の追悼式に参加しました。
「いまだに約半数の方々のご遺骨はまだ眠ったままであります。何とか遺骨帰還事業を着実に進めていきたい」(安倍晋三総理大臣)
政府は先月、硫黄島からの遺骨の帰還を推進するため関係省庁会議を設置し、レーダーによる調査を行うなど、遺骨の収容事業を加速させる方針です。


@痒いところに手が届くと言うか、以前はそうは思いませんでしたが、今回の阿倍さんは本当にいですね。兎に角戦後初めて憲法改正が射程圏内に入りました。
維新と安倍政権、体制右翼と言われようがなんと呼ばれようが問答無用で応援したいと思います。
我々の時代で悲願のYP体制打倒=憲法改正を勝利しよう。
硫黄島に限らず、すべての遺骨帰還事業が阿倍政権下で完結する事を願っています。





平成25年4月14日


主権回復式典欠席へ=仲井真沖縄知事、県民反発に配慮  だったら10兆円突き返してからもの言え!


沖縄県の仲井真弘多知事は10日、政府がサンフランシスコ講和条約発効から61年を迎える今月28日に開催する「主権回復の日」式典を欠席し、
高良倉吉副知事を代理出席させる方針を決めた。式典への県民の反発を考慮し、欠席はやむを得ないと判断した。

仲井真知事は自身の欠席について「政府には、県民にさまざまな意見があることをご理解いただきたい」とのコメントを文書で発表。
県幹部は「全国の都道府県知事に案内が送られている中で、沖縄だけ欠席するわけにはいかない。
県民感情も踏まえて代理出席を決めた」と説明した。 
県内では、条約発効により沖縄が米軍の施政権下に置かれた経緯から、式典開催に反対する声が広がっている。
沖縄県議会は3月29日に式典開催に対する抗議決議を全会一致で可決した。


@あのな、沖縄振興の3000億を懐に入れた時点で、ちみたち沖縄県民につべこべ言う資格は無くなったんだよ。
政府のやる事に文句があるなら、3000億を突き返してからもの言え、ここの守銭奴乞食。(ちみたち=君たち)


参考:沖縄振興一括交付金
2012年3月に期限切れとなった第4次沖縄振興特別措置法。1972年から2011年の間に沖縄振興費用として累計約10兆円が投じられ、
内9割以上が公共事業に費やされてきた。
つまり多額の振興費用は土建屋に流れ、その結果、沖縄県下には中小零細を含むと5000社を超える建設関連業者が存在するという「異常な環境」を生んでしまった。
こうした流れや環境を変えようとする試みのひとつが沖縄振興一括交付金。
要約すると、厳しい地方財政を考慮して、国の税収の中から地方に分配する交付金は使用目的が決められている。
このため“ひも付き補助金”とも呼ばれ、地方への影響力を行使、維持するための手段にもなってきた。
そうした国の影響力を抑え、地方分権時代を想定した中で生まれたのが一括交付金。
つまり目的別や省庁の部局別などに分かれていた交付金を取りまとめるとともに、地方が自由な裁量で使用できるようにした。
で、もうひとこと言えば、仲井真の色が那覇市の建設会社の女社長U(52)だ。あの顔でよくやるよ。


平成25年4月10日


伊吹議長、高市氏の靖国参拝「期待」発言に苦言  首相は春秋の例大祭に公式参拝すべき


伊吹衆院議長は14日の自民党二階派の会合に出席し、「安倍首相は(靖国神社に)行きたいけれども行けない。
それを、党三役であろう者が『(参拝を)期待している』と公言してしまったら、非常に困る」と述べた。
同党の高市政調会長が、首相在任中の靖国参拝を促す発言をしたことに、苦言を呈したものだ。

幹事長経験を持つベテランの伊吹氏は「(党の)責任者が『聞いてない』とか『反対だ』とか言い出したら三役は務まらない」とも語り、
党執行部が持つべき党運営の心得を説いた。


@首相の靖国神社参拝に関しては、特亜による内政干渉に対して敢えて8月15日の参拝を要望してきましたが、
しかし、我々は冷静に判断しなければなりません。敢えて国家の政治的代表が屈辱的な敗戦記念日に英霊の前でどんな祈りを捧げればいいのでしょうか。

靖国神社では春秋に例大祭が厳粛に執り行われますが、首相が参拝するにもっともふさわしい日はこの日を於いてあり得ません。
私たちが、感謝と復讐を誓って参拝するのとは意味が違います。
地球広しといえどもどこに敗戦記念日に英霊に手を合わせる国家の代表や元首がいるでしょうか。一日も早く普通の当たり前の成熟した国家として世界に肩を並べていくべきです。
ちなみに私は神宮参拝以外、例えどのような日であろうとも護国神社に参拝し、感謝と復讐を誓ってきます。


平成25年2月15日


「より強い絆を」フィリピンの英雄リカルテ、横浜に20年間居住/横浜




フィリピン独立に貢献した3英雄の1人と称されるアルテミオ・リカルテ。
そのリカルテが1915年に日本に亡命し、横浜に約20年間住んでいたことはあまり知られていない。
マニラ市と姉妹都市提携するなど、横浜市とフィリピンとの関係は深い。
横浜マニラ友好委員会委員長の二宮登さんは「フィリピンをもっと知ってもらえるよう、交流の幅を広げたい」と話している。
市国際政策課や二宮さんによると、リカルテはフィリピン革命や米比戦争のころにフィリピンの将軍を務めた。
1896年に祖国独立のために挙兵し、スペインや米国と戦った。
米比戦争後、上海などの監獄に投獄されたが、1915年に脱獄し、日本に亡命した。

愛知県に上陸したリカルテは、21年から現在の横浜市中区山下町に居住。
妻はフィリピンレストラン「カリハン・ルビミン」を切り盛りし、リカルテは南区の県立商工実習学校で
スペイン語教師として教壇に立っていたという。
太東亜戦争が開戦した41年にフィリピンに戻ったが、45年に病気のためルソンの山中で80年の人生に幕を下ろした。
遺言により、遺骨の一部は日本に納められているという。フィリピンは46年に独立を宣言した。
亡命生活中、「海はフィリピンとつながっている」として妻や孫、愛犬と山下公園を好んで散歩していたリカルテ。
71年にフィリピン協会(岸信介会長=当時)によって建てられた山下公園のリカルテ将軍記念碑には、今も訪れる人が絶えないという。

横浜市は65年にマニラ市と姉妹都市提携を結んで以来、相互訪問や小学生同士の交流などさまざまな形で絆を強めてきた。
市内に居住するフィリピン人は約6500人(2012年7月)。市内在住外国人の約1割を占めている。
9月1、2日に山下公園で初開催されたフィリピンフェスティバル。2日間で計約5万人という大勢の来場者を前に、
林文子市長はさらなる交流の促進を宣言した。
「開港以来、世界中から人や物を受け入れ、その思いをつないできた都市として、
互いの文化を尊重して生き生きと暮らせる真の国際都市を目指す。
フェスティバルを通して新たな対話と絆が生まれ、友好関係がより一層深まることを願っています」


@ホセ・リサールやアンドレス・ボニファシオなど、フィリピン独立運動の英雄で日本と関わった人も多いですね。
マゼランを倒したラプラプもフィリピン英雄のひとり。
私が若いころには、リサールが書き下ろした「ノリメタンヘレ 我に触るなかれ」「エル・フィリブステリスモ」を原文で読んだ事がありますし、
対米自立の必要性を痛切に感じていたのもこの頃でした。
ボニファシオが組織した民族自決の秘密結社「カティプナン kkk」は現在も改革派の青年将校たちに引き継がれています。


 
平成15年(2003年)にアロヨ政権を倒すために決起した300名の青年将校(マダグログループ)達も左腕に皆、カティプナンの旗をシンボルとして巻いていました。
これだって5.15 2.26を参考として決起した軍事クーデター(下剋上)でありまさに維新運動そのもの。
国を憂うる若い自衛官は、いま彼らから学べ。


平成24年9月25日


石原伸晃を痛烈批判=麻生 何をおっしゃる兎さん、下剋上こそ日本社会における民主主義の素晴らしき形態!


麻生太郎元首相は13日の記者会見で、石原伸晃幹事長が谷垣禎一総裁を押しのける形で総裁選に出馬することについて、
「下克上とか平成の明智光秀(という)、ありがたくない冠をこの人は当分頂くことになる。
私の人生哲学には合わない」と痛烈に批判した。さらに「石原氏を支援する人の神経がよく分からない」とも語った。


@なにをおっしゃる兎さん、百姓一揆然り、下剋上こそが日本社会における伝統的な民主主義の素晴らしい形態なのであって、
マルクスやキリスト教的価値観を押し付ける戦後民主主義とは大違い。
漫画ばかり読んでいるからいつまで経っても肝心な事の本質が見抜けないんだよ、おバカさん。
但し、私の大嫌いな伸晃を擁護するものではありません。



平成24年9月15日





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