「東北地方太平洋沖地震」被災者に対する 天皇陛下のお言葉


東日本大震災から3年   午後2時46分 黙祷を捧げます


天皇陛下のおことば




本日、東日本大震災から三周年を迎え、ここに一同とともに、震災によって失われた人々と、その遺族に対し、
あらためて深く哀悼の意を表します。
三年前の今日、東日本を襲った巨大地震と、それに伴う津波は、二万人を超す死者、行方不明者を生じました。
今なお多くの被災者が、被災地で、また避難先で、困難な暮らしを続けています。
さらにこの震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、
多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。
未だに自らの家に帰還する見通しが立っていないことを思うと心が痛みます。

この三年間、被災地においては、人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、
復興に向けて懸命に努力を続けてきました。
また、国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続き、様々な形で尽力していることを心強く思っています。
被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。
この人々の健康が守られ、どうか希望を失うこと無く、これからを過ごしていかれるよう、
長きにわたって国民みなが心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、
安全な国土を築くことを目指して進んでいくことを期待しています。
被災地に、一日でも早く、安らかな日々の戻ることを、一同とともに願い、御霊への追悼の言葉と致します。


@ 黙祷


平成26年3月11日


天皇陛下 東日本大震災追悼式典でのお言葉


@正しい知識を身につけ、放射能に過剰に反応することなく、地域エゴを克服し、国民が一丸となって復興に協力していきたいものです。





平成24年3月11日


平成24年01月02日


天皇陛下のお言葉 


この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9・0という例を見ない規模の巨大地震であり、
被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。
地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。
一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により
事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、
極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。
その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し
、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を
生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、
国内のさまざまな救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、
その労を深くねぎらいたく思います。

今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と
ともにあるとの言葉が添えられていました。
これを被災地の人々にお伝えします。

海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、
秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。
これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。
被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、
また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の
復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています







平成23年3月16日


天皇陛下 ご退院


心よりお慶び申し上げます。





平成24年3月4日



天皇陛下の心臓手術成功 


心よりお慶び申し上げます。





平成24年2月18日


天皇皇后両陛下が福島からの被災者お見舞い


天皇、皇后両陛下は27日、栃木県那須町のホテルを訪れ、東日本大震災で福島県から避難している被災者らを見舞った。
両陛下は26日から静養のため那須御用邸に滞在しているが、同町長らから話を聴くなど被災状況の把握に努めている。

ホテルでは14世帯27人と懇談。天皇陛下は、浪江町から避難している八橋清美さん(38)の長女で
那須町立那須小4年、美優さん(10)に「お友達はできましたか」と問いかけ、美優さんは「はい」と小さな声で答えた。
美優さんは4月に同町に避難してから2度小学校を替わり、9月には福島市内の小学校に転校するという。
清美さんは「娘もやっと落ち着くと思います。両陛下に声をかけられて勇気づけられました」と話した。
両陛下は時には被災者の手を握りながら見舞った。天皇陛下はホテルを去り際に「いい方向に向かうといいですね。
みなさん、どうぞ、お元気でね」と被災者を励ました。





平成23年7月27日


皇后さま、手旗信号「ようこそ…」読み取り周囲驚かす


天皇、皇后両陛下は8日、東京都江東区の東京海洋大学で、皇室御用船として明治天皇が地方訪問に使用した
「明治丸」の特別展を鑑賞した。
明治丸甲板では同大生13人が赤白の旗を使った手旗信号でお二人を歓迎。
皇后さまが「ようこそ…」と信号を読み取って声に出し、周囲を驚かせた。
皇后さまは「小学5年生の時に習いましたの」と説明していた。
明治丸は明治政府の海運強化策のもと、各地の灯台の保守点検を担った灯台巡視艇で、
日本に現存する最古の鉄製船。明治天皇は北海道や小笠原諸島訪問に使った。
船内には天皇専用の寝室や風呂といった「御座所」がある。








平成23年6月8日


皇太子ご夫妻が宮城へ 被災者をお見舞い


皇太子ご夫妻は、4日、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県を訪れ、沿岸部の被災状況を視察したほか、
避難生活を送る人たちを励まされました。

皇太子ご夫妻は午後1時半すぎに自衛隊機で宮城県の仙台空港に到着し、村井知事らの出迎えを受けられました。
ご夫妻が震災から間もない被災地を訪れるのは、平成7年の阪神淡路大震災以来のことで、はじめに空港近くの
岩沼市の下野郷地区を訪問されました。
この地区では、海沿いにあった住宅の多くが津波で流され、今もがれきの山が残っていて、
ご夫妻は被害の状況について説明を受けたあと、住宅地の跡に向かって深く頭を下げ犠牲になった人たちを悼まれました。
続いて、ご夫妻は、津波で650人を超える人たちが亡くなるなど大きな被害を受けた山元町の
避難所になっている小学校と中学校に足を運ばれました。
このうち、60人余りが避難生活を送る小学校の体育館では、床にひざをついて一人一人に声をかけて回られました。
皇太子さまは、津波で家を失ったお年寄りの女性が「やっとのことで助かりました」と話すと、
「逃げるのも大変だったでしょうね。
どうぞお大事にしてください」とことばをかけ励まされていました。
また、雅子さまは、津波について「つらくてもう思い出したくない」と泣きながら訴える女性の手を両手で何度も握りしめ、
「本当につらかったですね。大変ですが頑張ってください」と声をかけ励まされていました。
雅子さまは、このあと訪れた中学校でも、母親をなくしたという女性に「残念なことでしたね。
天国から見守っていらっしゃると思います」と話しかけ、慰められていました。
ご夫妻は4日夜、東京に戻られます。





平成23年6月4日


天皇陛下、恒例のお田植え 皇居内の水田にて


天皇陛下は24日、皇居内の水田で、うるち米のニホンマサリともち米の
マンゲツモチ計100株を植えられた。

皇居での稲作は、農家の苦労を知るために昭和天皇がお始めになられ、今上陛下に受け継がれています。
秋に収穫され、新嘗祭(にいなめさい)などの祭祀(さいし)にも使われます。







平成23年5月24日


天皇皇后両陛下が和歌山で「全国植樹祭」に出席





平成23年5月23日


宮内庁「両陛下 お疲れの御様子」


11日に福島県を訪問し7週連続で被災者へのお見舞いをされた天皇・皇后両陛下について、
宮内庁はお疲れの御様子であるものの、今後も再び被災地を訪れる事になるとの見通しを示しました。
両陛下は11日、福島県の被災者をお見舞いし、津波の被害を受けた地域で犠牲者に黙礼されました。

宮内庁によりますと、原発事故による風評被害に心を痛めてきた両陛下は、帰京する前に福島県産の
アスパラガスやしいたけ、イチゴなどが入った詰め合わせを3箱購入されました。
このうち、皇太子御一家と秋篠宮御一家に1箱ずつ届けられたということです。
両陛下は、これで千葉・茨城・宮城・岩手・福島の被災地を訪問されるなど、7週連続で被災者をお見舞いされ、
予定されていた日程を全て終えられました。
宮内庁の羽毛田長官は、12日の会見の中で「これで1つの区切り」とした上で、現在も多くの被災者が
避難生活を続けているため、今後も状況とタイミングを見た上で、被災地に訪問されることになるとの
見通しを示しました。
また、両陛下は各地を相次いで訪問され「疲れている御様子」だということで、
宮内庁はできるだけ早く静養してもらうように調整したいと話しています。





平成23年5月13日


天皇・皇后両陛下が福島訪問  大震災から2か月 


東日本大震災から2か月となる11日、天皇・皇后両陛下は被災者を励ますため、震災と原発事故で大きな被害を受けている
福島県を訪問されています。
両陛下は午前10時過ぎ、自衛隊機で福島空港に到着され、佐藤知事などが出迎えました。
11日は、ヘリコプターを乗り継いで福島市と相馬市の避難所を訪れて被災者を励ましたあと、
津波で多くの犠牲者が出た相馬市の沿岸部も視察される予定です。
宮内庁によりますと、両陛下は原発事故を大変心配し、できるだけ早く被災地に入りたいとの強い意向を
持たれていたということです。
今回の訪問先は、いずれも福島第一原発の30キロ圏外とはいえ、原発事故の深刻な影響が続く中で
異例のお見舞いとなります





平成23年5月11日


秋篠宮ご夫妻が三沢、八戸を訪問


秋篠宮ご夫妻は10日、東日本大震災の津波被害を受けた三沢、八戸両市を訪れ、被災した住民や漁業者をお見舞いし
「お体を大切に」と励ましの言葉をかけられた。
 ご夫妻の被災地訪問は今回が初めて。同日午前、空路で三沢市に到着し、三沢漁港で被災状況を視察。
種市一正市長から漁港施設や漁船などの被害で操業できない漁業者が多い−などと説明を受けた。
 同市漁協小型船部会長の立花龍雄さん(69)は「宮さまは津波被害を避けるため
沖に船を出した様子に関心を持たれたようだった。励ましていただき力づけられた」と話した。
 その後ご夫妻は、八戸市市川町の橋向生活館を訪問。橋向地区の被災者30人と対面し、
自宅の被害状況などを尋ねられた。
高橋ハルさん(69)は、自宅の後片付けで腰を痛め入院した夫(76)について話した。
紀子さまは高橋さんの手を握って「ご主人を大事にして、頑張ってください」と言葉をかけられたという。
高橋さんは「元気づけられました」と笑顔を見せた。
 ご夫妻は最後に、八戸漁港の館鼻岸壁を視察。
津波で岸壁に打ち上げられた中型イカ釣り船の横で、小林眞市長から説明を受けた。
 加工場が浸水する被害を受けた同市の丸竹八戸水産の島守信昭常務(66)は「妃殿下から
『おいしい締めさばを作ってください』とお声をかけられ、頑張るぞと気合が入りました」と感激していた。
 ご夫妻は同日中に三沢空港から空路、帰京されました。


平成23年5月10日


皇太子ご夫妻 埼玉・三郷市の避難所訪問


皇太子ご夫妻が、埼玉県三郷市の避難所を訪問されました。
皇太子ご夫妻は、原発事故の影響で福島県広野町などから避難してきた約200人が生活する
三郷市の避難所を訪問されました。
ご夫妻は、ひざをついて一人ひとりと目を合わせ、「思いもかけないことで大変でしたね」
「皆で戻れる日が来ると良いですね」などと声をかけられ、滞在時間は予定より1時間以上オーバーしました。





平成23年5月7日


天皇・皇后両陛下、岩手も訪問 東北3県で2カ所目


天皇、皇后両陛下は6日午前、東日本大震災で未曽有の被害を受けた岩手県に入った。
津波などで約800人が亡くなった釜石市や、約400人が死去した宮古市を訪れ、避難所で
生活している被災者を見舞う。
両陛下は3月30日の東京都足立区を皮切りに、埼玉県、千葉県、茨城県と毎週1カ所のペースで
避難所や被災地を歴訪しており、今回で6週連続の被災者お見舞いとなる。
とりわけ被害が大きい東北3県は4月27日の宮城県に続いて2カ所目。

両陛下はこの日午前11時前、東京・羽田空港から自衛隊機で岩手県花巻市の花巻空港に到着し、
達増拓也・同県知事から被害状況の説明を受けた。
席上、羽毛田信吾・宮内庁長官から達増知事に両陛下の見舞金が手渡された。
昼過ぎからは自衛隊ヘリに乗り換えて釜石市の釜石中学校や宮古市の宮古市民総合体育館に向かう。
当初、岩手県訪問は2日の予定だったが、強風のためヘリが飛べず、6日に延期されていた





平成23年5月6日


天皇、皇后両陛下、宮城県入り 南三陸町などお見舞いへ


天皇、皇后両陛下は27日午前、東日本大震災の被災者を見舞うため、自衛隊機で宮城県に入られた。
午後に津波で甚大な被害を受けた南三陸町を視察するほか、同町と仙台市の避難所を訪問される。
両陛下が東北地方の被災地に入られるのは初めて。両陛下は午前9時半ごろ、自衛隊機で羽田空港をご出発。
航空自衛隊松島基地(東松島市)に到着後、基地内で、村井嘉浩知事から被災状況について説明を受けられた。
宮内庁によると、両陛下は同庁の羽毛田信吾長官を通じて、村井知事に、
被災者支援のためのお見舞い金を渡されたという。

被災地に配慮する両陛下のご意向を踏まえ、宮内庁は両陛下の随員を最小限の7人としたほか、
過去の被災地訪問と同様、日帰りの強行軍の日程を組んだ。
両陛下は3月30日に東京都内、今月8日に埼玉県加須市の避難所をご訪問。
「1日も早く被災地に入りたい」というご意向のもと、震災1カ月の節目が過ぎた14日には、
津波で被災した千葉県旭市へ。22日も茨城県北茨城市を見舞い、両陛下は5週連続で避難所や
被災地に足を運ばれている。


恋闕





平成23年4月27日


皇宮警察が被災地へ 創立125年で初めて


皇宮警察が、東日本大震災の被災地の警備などのために部隊を派遣することになり、26日に本部で出発式が行われた。
部隊名は希望と笑顔をイメージした「皇宮警察ひまわり隊」。
皇室の警備を目的に1886(明治19)年に発足した皇宮警察が、災害で部隊を派遣するのは創立125年にして初めて。
部隊は10人で、うち8人が女性。岩手県大船渡署管内に赴く。
同県陸前高田市や大船渡市内の避難所を巡回し、5月6日まで防犯指導や困り事などの相談に乗る。
出発式では、同県宮古市出身の藤田学隊長が「復興への希望を胸に、誠実かつ親切に任務を遂行します」と決意を述べた。
式後、隊員の西森智子皇宮警部補は「女性らしい気配りで被災者の方々のお役に立ちたい」と抱負を語った





@皇宮警察までが国民におもねるな。だたひたすらご皇室をお守りしていなさいよ。


平成23年4月26日


秋篠宮ご夫妻が避難所訪問 群馬・東吾妻


秋篠宮ご夫妻は25日、東日本大震災の避難所となっている群馬県東吾妻町内の施設を訪れ、被災者らを励ました。
紀子さまが、震災のショックで声が出なくなったという女性に手話で話しかける場面もあった。
ご夫妻が避難所を慰問するのは東京都内、新潟県内に次いで3回目。
 福島県からの被災者約90人が生活する「岩櫃(いわびつ)ふれあいの郷(さと)」で紀子さまは、
声が出せない南相馬市の美容師、佐藤和香子さん(25)に手話で「何か困ったことは」と尋ねると、
佐藤さんはのどに手を当てた。紀子さまが「声が出なくても、いろいろな方法でお話しすることができるわよね」と
肩を抱くと、佐藤さんは涙ぐんだ。
懇談後、佐藤さんは「紀子さまに『ずっと思っていますからね』と言われ、うれしかった」と筆談で感想を示した。【





平成23年4月25日


天皇皇后両陛下 北茨城市の漁港を訪問


天皇皇后両陛下は、東日本大震災で大きな被害を受けた茨城県北茨城市の港を訪れ、
漁業関係者らを励まされました。
両陛下は先週、千葉県旭市の被災地を訪問したのに続いて、22日、地震と津波で5人が亡くなるなど、
大きな被害が出た北茨城市を訪ねられました。

初めに、津波で堤防が決壊した大津漁港を訪れ、港を見ながら、漁協の組合長から被害の説明を受けられました。
両陛下は、港で行方不明になっている男性がいることを知らされると、海に向かって深く頭を下げられました。
そして、福島第一原子力発電所の事故の影響で、今が旬のコウナゴ漁を見合わせている漁業関係者に
「頑張って復興してください」などと声をかけられていました。
両陛下はこのあと、津波で家が壊れたままの住宅地も歩いて視察されました。
続いて、40人近くが避難している体育館にも足を運び、天皇陛下は、震災後、避難所で妻を亡くしたという
72歳の男性に「残念なことでしたね。
さみしいですね」と話しかけ、慰められていました。
また、皇后さまは、余震におびえる女性に「怖かったでしょう。
つらかったでしょう。これまでよく耐えてくれましたね」と優しく話しかけられていました





平成23年4月22日


常陸宮ご夫妻が「とどろきアリーナ」訪問


常陸宮ご夫妻は川崎市の「とどろきアリーナ」を訪問し、東日本大震災で避難している人を励まされました。
川崎市の「とどろきアリーナ」には、福島第一原発事故などの影響で、福島県南相馬市や浪江町などから
約100人が避難しています。
常陸宮ご夫妻は20日午後3時半過ぎに到着され、30人ほどが集まった喫茶室ではご夫妻も椅子に座り、
一人ひとりに声をかけられました。
常陸宮さまは、帰り際に「厳しく寒い冬の後に暖かい春が来るように、蒸し暑い夏の後に涼しい秋が来るように、
皆さんがお元気で地元に帰られて、静かで平和な暮らしに戻られることを願っています」と避難者を励まされました。





平成23年4月21日


クリントン長官、御所で両陛下と懇談


クリントン国務長官は、天皇・皇后両陛下のお住まいである御所を訪れました。
クリントン長官は大統領夫人だった頃から両陛下と18年来の親交があり、玄関先で出迎えた両陛下に
東日本大震災のお見舞いを伝え、皇后さまとは終始、手を握り合ったまま言葉を交わしていました。
今回はプライベートな訪問のため、通訳だけが立ち合う形で、両陛下と3人で懇談をしたということです。





平成23年4月18日


秋篠宮ご夫妻が新潟に 避難住民を激励


秋篠宮ご夫妻が、原発事故で福島県から新潟県に避難してきた人たちを激励されました。
秋篠宮ご夫妻は14日昼前、福島県南相馬市や浪江町などから避難してきた13世帯42人が生活している
新潟県長岡市の施設を訪れました。
この施設では、地元企業の協力で、希望者は仮設住宅の屋根に使う部品を組み立てる仕事をしています。
秋篠宮ご夫妻は作業をご覧になりながら、一人ひとりに励ましの言葉をかけられると涙ぐむ人の姿も見られました。





平成23年4月15日


天皇皇后両陛下、初の被災地訪問 
千葉県旭市を視察、慰問



天皇、皇后両陛下は14日午前、慰問と視察のため、東日本大震災で被害を受けた千葉県旭市に入った。
両陛下はこれまでに東京都足立区と埼玉県加須市の避難所を訪れているが、被災地の訪問は今回が初めて。
両陛下は同日午後、避難所として使われている公民館など2カ所を慰問するほか、
津波の被害があった海沿いの地区を視察する。
太平洋沿岸部にある旭市では13人が死亡したほか、全半壊した住宅も750棟以上にのぼる。





平成23年4月14日


天皇陛下皇居で「お手まき」 春の恒例行事


天皇陛下は、皇居にある苗代で稲の種もみをまかれました。稲の種もみをまく「お手まき」は13日午後3時過ぎ、
皇居の一角にある苗代で行われました。
この行事は昭和天皇の時代から始まった春の恒例行事で、陛下は小さなザルに入った
「ニホンマサリ」と「マンゲツモチ」の種もみを手に取り、丁寧にまかれていました。
来月には、20センチほどに成長した苗を田植えされ、秋には自ら収穫されます。
この米は、11月に行われる新嘗祭などの宮中での祭祀などに使われます。


ふりつもる み雪にたへて 色かへぬ 松ぞをゝしき 人もかくあれ 昭和天皇御製

刈り終へし 棚田に稲葉青く茂り あぜのなだりに 彼岸花咲く   今上陛下御製

災害に 行方不明者の 増しゆくを 心痛みつつ 北秋田に聞く     今上陛下御製





平成23年4月14日


両陛下、御所で黙祷される


宮内庁によると、天皇、皇后両陛下は東日本大震災から1カ月を迎えた11日、地震が発生した午後2時46分に合わせ、
お住まいの皇居・御所で黙祷された。皇太子ご夫妻も同様に東宮御所で黙祷されたという。
また、両陛下はこの日の午前中に休園日の皇居・東御苑を訪問し、都内の避難所から宮内庁が招いていた
被災者18人に声をかけられた。
訪問は予定されていたものではなく、両陛下が決められたという。


4月11日現在 死者・行方不明者は2万7493人 合掌


平成23年4月11日


秋篠宮ご夫妻 都内の避難所を訪問







平成23年4月7日


皇太子ご夫妻が避難所を訪問 東京・調布


皇太子ご夫妻は、東京都内の避難所で不便な生活を送っている東日本大震災の被災者を見舞われました。
皇太子さまと雅子さまは6日午後3時ごろ、東京・調布市の「味の素スタジアム」に到着されました。
皇太子ご夫妻はそろってグレーのジャケット姿で、避難している人たちのそばで両ひざを折り、
熱心に話を聞かれました。
この施設には福島県などから130人以上が身を寄せていて、皇太子さまは浪江町から避難した人に
「お体はいかがですか」「お大事になさってください」、雅子さまは「海の近くですか」などと
話しかけられたということです。療養中の雅子さまが公務に出かけるのは去年10月以来、約半年ぶりです。





平成23年4月6日


米大統領が天皇陛下に親書 大震災受け「深い同情」


在日米大使館は31日、東日本大震災を受け、オバマ米大統領が天皇陛下にお見舞いの親書を送ったことを明らかにした。
親書は3月24日付。大統領は日本の被災者らに対し「深い同情の念」を示すとともに、
危機に際して日本国民が見せている「勇気、強さ、決意」を称賛した。
さらに、米国は日本が必要とする「あらゆる支援」を提供しているとし、日本の復興に向け「米国は友人、
パートナー、同盟国として確固たる支援を行う」と表明した。


@こんな時に態々大使を呼びだして、教科書の記述に文句を付けるアホ民族とは大きな違いですね。
日本人とともに被災地で汗を流す米兵。
原発では140名の海兵隊放射能専門部隊まで投入してくれるそうです。
この借りは何かで返さないといけませんね。
全面的に沖縄を好きなように使ってもらいましょう。


平成23年3月31日


天皇・皇后両陛下、避難所お見舞い


天皇・皇后両陛下が東京都内の避難所を訪れ、東日本大震災の被災者たちを直接、お見舞いされました。
両陛下は午後3時半すぎ、福島県からの被災者を中心におよそ300人が避難している東京・足立区にある
「東京武道館」を訪れました。
両陛下は、被災者の人たちが1世帯ずつ仕切りで区切って生活をしている武道場で、ひとりひとりに「お体は大丈夫?」
「よく眠れていますか?」「お水は摂っていますか?」と避難生活の様子について細かく聞いたり、
励ましの言葉を掛けられました。
また、皇后さまは、子供たちをあやしながら大きく握手をしたりして元気付けていました。
被災者の中には両陛下を前に涙ぐむ人もいましたが、「温かく迎えて頂いています」と答える一方で、
「津波で何もかも無いです」と不安な気持ちを切々と訴えていました。







平成23年3月30日






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