川向こうさん、まだそんな大嘘を付き通すのですか? 
大韓帝国はなぜ日本の植民地になったのか



国権喪失再照明学術セミナー
「学問・教育水準は高かったが、近代化が遅れ、経済・軍事力は低かった」

「併合条約は無効であり、亡国日は高宗崩御の日と見なすべき」

大韓帝国はなぜ日本の植民地へと転落したのか。日本による韓国併合100周年に合わせ、韓国政治外交史学会(イ・ジェソク会長)と
社団法人アセム研究院(イ・チャンフン院長)が今月2日、ソウル市内のプレスセンターで共同開催した
「国恥100年、国権喪失の政治外交史的再照明」と題した学術セミナーは、国権喪失の対内的・対外的要因を
さまざまな角度から検証した。

イ・ホンチャン高麗大教授(経済学)は、強制併合直前の1900年代における韓国・日本・中国の経済力を
数値で示した「国権喪失の社会経済的要因」と題する論文を発表した。
1900年ごろ、日本は国民一人当たりの国内総生産(GNP)が1180ドル(現在のレートで約10万3391円、以下同)で、
朝鮮(620ドル=約5万4324円)に比べおよそ2倍も高かった。
中国は545ドル(約4万7752円)で朝鮮とほぼ同等、ロシアは1237ドル(約10万8385円)だった。
ところが、当時の日本の人口は4410万人で、朝鮮(1700万人)より2.6倍も多く、経済規模全体で見ると
5倍程度の格差があった。

朝鮮と日本の差は、経済規模だけではなかった。経済近代化の水準を表す各種の指標で、
日本は朝鮮よりはるかに高い数値を示していた。
朝鮮は、産業全体で鉱工業の構成比が5.1%、製造業が4.5%だったのに対し、日本は鉱工業が15.0%、
製造業は13.2%で、およそ3倍も高かった。
その上、製造業の内容を見ると、朝鮮はほとんどが手工業だったのに対し、日本は炭鉱業や製鉄業(銑鉄・鋼鉄)など
近代工業中心だった。政府の財政も、日本は国民総生産(GNP)に占める総財政支出の割合が、
1880年には10.9%、1890年は12.1%、1900年は21.5%、
1910年には46.5%と向上し、国家の財源を集中管理した。しかし朝鮮は、1900年の政府の歳入決算額がGNPの2%に過ぎなかった。
イ教授は、「朝鮮は教育普及度が高い方で、学問的水準も低くはなく、“ソフトパワー”では強みを持っていた。
しかし農業経済社会にとどまり、近代工業国家へとステップアップできなかったため、財政と軍事力という
“ハードパワー”は弱かった」と分析した。

キム・ミョンソプ延世大教授(政治学)は、「大韓帝国の国際政治史:誕生と消滅の国際政治史的意味を中心に」と
題する論文を発表し、1910年8月29日(併合条約の発効日)を大韓帝国の亡国と見る観点は、
併合条約はそもそも無効だと主張する韓国の学界の観点と矛盾し、19年の高宗崩御を大韓帝国の終点と
見なければならない、と主張した。
07年に高宗から純宗へと帝位が移ったのは、日帝の脅迫によるもので、高宗の崩御を大韓帝国の終幕と見なし、
19年に樹立された大韓民国臨時政府が大韓帝国の正統性を継承したと見なければならないとしている。


@韓国政府が国民に嘘をつき通し日本が支払った戦後補償金を全額懐に入れ込んだ日韓基本条約の締結と同じで、
イ・ホンチャンやキム・ミョンソプがどれだけの人物かは知らないけど、学問、教育水準のどこが高かったの?
 李氏朝鮮王朝時代、英語の話せる、国際条約の読める朝鮮人がいなかったというのが真実じゃない。
そこを明確にしなさいよ。だから日本国に併合をお願いしたんでしょ。ったく・・・・・・ホント迷惑な話だよ。





平成22年7月12日







 
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