数百人が死亡=キルギス民族衝突


赤十字国際委員会(ICRC)は15日、キルギス南部での民族衝突について、正確な死者数はまだ分からないと
しながらも「数百人が死亡した」と明らかにした。
遺体の埋葬などがどの程度まで行われたかは不明で、「一部は放置された状態にある」としている。
ICRCの専門家は「(キルギス南部の)オシの状況は過去24時間でやや落ち着いたが、依然としてかなり緊迫しており、
非常に不安定な情勢だ」と述べ、現地での支援活動が困難になっていると指摘した。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、推定で20万人が国内で避難生活を強いられているほか、
約7万5000人が難民保護を求めて隣国ウズベキスタンに避難した。 


@世界中がW杯で盛り上がっている最中、同時進行でこうした惨劇が繰り返されています。






平成22年6月16日


キルギス暴動収まらず、死者77人に  
愛国者はその時に備え、よく学べ



中央アジア・キルギス南部のオシ州で激化している民族抗争で、同国臨時政府のオトゥンバエワ暫定大統領は12日、
ロシアのメドベージェフ大統領に、騒乱の沈静化を図ることを目的に平和維持部隊の派遣を要請した。
地元メディアが伝えた。同国臨時政府の広報担当者によると、オトゥンバエワ暫定大統領は、
事態は収集不可能な状態で、政府は状況を打破するために外部の軍事支援が必要だと、
メドベージェフ大統領に訴えたという。

これに対しロシア側は「これはキルギスの国内問題で、ロシアが解決のために介入する状況ではない」として、
現時点では部隊の派遣はせず、人道支援のみを行う方針を示した。
同州では10日夜にキルギス系とウズベク系の若者の間で衝突が起き、これをきっかけに大規模な
暴動に発展。死者数は77人、負傷者数は1000人以上に達しているという。
臨時政府は12日、オシ州および周辺地域の都市ジャララバードに非常事態を宣言。
また同国南部の一部には今月20日まで午後6時から午前6時までの外出禁止令が出されている。


@我が国だっていまの社会主義政権が続けば、いつこうした内戦状態に陥るとも限らない。
愛国者はよく学習し、その時に備えよう。













平成22年6月13日


キルギス 政権事実上崩壊


大統領の辞任を求める野党勢力と治安部隊が衝突して多数の死傷者が出た中央アジアのキルギスでは、バキーエフ大統領が
首都から逃れたのに対し、野党側は軍も統制下に収めたとして暫定政府の樹立を宣言し、バキーエフ政権は事実上崩壊に追い込まれた。
キルギスの首都ビシケクでは7日、バキーエフ大統領の辞任を求める野党支持者と治安部隊が衝突し、キルギス保健省によると、
これまでに70人以上が死亡し、530人余りがけがをしした模様。
衝突から一夜明けた8日、ビシケク市内では治安部隊の姿はなく、大統領府や国営テレビ局などが相次いで野党側に占拠されている。

野党側の指導者の1人、オトゥンバーエワ元外相は8日、記者会見を開いて「暫定政府の下で半年以内に新しい憲法を制定する」と述べ、
暫定政府の樹立をあらためて宣言するとともに、すべての軍や国境警備隊を統制下に収めたと発表した。
これに対し、バキーエフ大統領は、治安閣僚とともに首都ビシケクを離れて出身地の南部に逃れたということで、
8日になっても公の場に姿を現さないうえ、声明なども発表しておらず、バキーエフ政権は崩壊に追い込まれた状況。
また、ロシア政府によると、キルギスと関係の深いロシアのプーチン首相は8日、野党側のオトゥンバーエワ元外相と電話で会談し、
必要な人道支援を行う考えを表明した。
バキーエフ大統領は5年前、野党指導者の1人として抗議行動の先頭に立ち、長期政権を崩壊させたが、大統領に就任したあとは
強権的な政治手法や政治の腐敗に対して野党側の反発が強まっていた。

2005年に「チューリップ革命」と呼ばれる政権交代劇が起きた中央アジア・キルギスで7日、大規模な反政府街頭行動が発生し、
バキエフ政権が崩壊した。
野党側のデモが暴徒化し、騒乱の中で大統領が首都を追われる構図は5年前と共通する。
「チューリップ革命」を経て大統領に就いたバキエフ氏は、ロシアに逃れたアカエフ初代大統領と同様に強権支配の道をたどった。
政権は報道・言論の統制を強化、選挙制度を改変するなどし、議会で与党「輝く道」が約8割の議席を占める翼賛体制を確立した。
また、自らの親族を政府要職に起用し、“一族支配”に傾いたことも批判を買っていた。

経済情勢の悪化や公共料金の引き上げが国民の不満に拍車をかけた。キルギスは一人あたりの国内総生産
(GDP)が950ドル(約8万8千円)程度の貧国。
従来、ロシアでの出稼ぎ労働が主要な外貨獲得源となっていただけに、ロシアの経済不振がキルギスに及んだ側面もある。
バキエフ氏は09年の大統領選で再選を果たしたものの、国際選挙監視団はこの選挙の実態を批判。反政権派は「革命」から丸5年を期し、
3月から抗議行動を強めていた。
キルギスでは米国がマナス空軍基地をアフガニスタンでの対テロ作戦の拠点として使用するほか、ロシアもカント空軍基地を置いている。
中央アジアではイスラム過激派勢力の動きが活発化していると指摘され、キルギス情勢の混乱が地域全体の政情不安に
つながる可能性も排除できない。



   


   


   


   


@日本でもこうした構図で、鳩山政権を倒したいものだ。


H22 04.08 pm20時更新


キルギス政府 非常事態を宣言


中央アジア・キルギスの反政府デモを率いるロザ・オツンバエワ元外相は7日夜、地元テレビなどを通じて「野党勢力が権力を掌握した。
私が率いる暫定政権が発足した」と宣言した。
退陣を求められたバキエフ大統領は、首都ビシケクから第2の都市オシに逃れた模様。2005年の「チューリップ革命」に続く、
大衆運動による政権崩壊の公算が大きくなった。
現地からの報道によると、野党勢力は7日夜までに、内務省や国家治安局、国営テレビ局などを占拠した。
デモ隊の一部は暴徒化し、大統領府などの政府施設や一般の店舗で略奪行為や放火を行ったため、騒乱状態に陥った。
保健省によると、65人が死亡、420人が負傷した。野党側は「100人以上が死亡した」と主張している。

権力掌握を宣言した女性指導者、オツンバエワ氏は、ロイター通信のインタビューで、「暫定政権は今後半年間で憲法を起草し、
自由・公正な選挙の条件を整える」と述べた。
同氏は05年、アカエフ大統領(当時)による選挙不正を訴える抗議行動をバキエフ現大統領とともに主導、政権交代後は外相代行に就任したが、
大統領の強権政治を批判し、政権を離れていた。野党勢力内にはほかにも、バキエフ陣営からたもとを分かった幹部が参加している。

また、野党勢力はキルギス・マナス基地に駐留する米軍の完全撤退を求めた。
ただ、7日夜現在、基地運用に大きな影響はない模様。今回、一気に野党の権力掌握にまで急転回した背景には、
バキエフ政権下で経済改革が遅々として進まず、前政権と同様に縁故主義と汚職がはびこったため、国民の反発が予想以上に強まったことがある。
さらに、最近の電気代、燃料代の大幅値上げで大衆の怒りは頂点に達し、野党の反政府行動呼びかけに多数が応じた。


@今の民主党政権が続けば日本でも必ずこのような事態が起きるような気がします。その前に愛国的自衛官が決起する事だ。


H22 04.08








inserted by FC2 system