平成二十一年六月 神道講演研修全国大会 於 水戸市・茨城県神社庁
 
誠 は 天 の 道 な り
 
―  徴古館開館百周年記念展に向けて  ―


大 野 康 孝



 人は皆神の子。神社の教え神道では、人みな此の顕世を身罷ればその故人の姓名に命の字を付し祖霊の神と高まり安らかに
鎮まりますように≠ニ、手厚く祀ります。
 それは、人それぞれが八百万神々の一人として天与の事依さし℃g命のまにまに、天が下の芦原の中つ国に生き死にして、
地上に神のみこと持ち≠ニして役割を分担し果たして、誠を尽くして人生を全うすべきであるからなのです。

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 私の座右の銘は、『誠は天の道なり、これを誠ならしむるは人の道なり』です。
 この維新黎明の地水戸の碩学勤皇の志士、藤田東湖先生の墨跡が史蹟弘道館の売店より広く頒布され、つとにその書が高名ですが、
その出典は支那の礼記中庸です。
 この教えの「天」を「神」と置き換えて読み解き行けば、「神の道は人の道」と理解でき「人の道は神の道に通ずる」との事が
よくよく判り得ると思います。東湖先生もまた、これを信條として尊攘の志道に至誠もって生死されたのでした。

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 さて昨年、神都伊勢での神道講演研修全国大会終了後に神宮の博物館である徴古館を訪ねました。
その折に同館の堀川館長ならびに深田学芸員より、明治四十二年開館以来実に百年を迎える平成二十一年度開催の
『徴古館開館百周年記念展』の企画と構想をお聴きし、就中、新春企画展「神宮の刀」への協力を要請されたのでした。

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 そのパンフレットの行事案内書の中には、以下のように記してあります。
 『現代刀の百年―復興と継承―』神宮式年遷宮ごとに新たに調えられる六十振りの御太刀。
明治の廃刀令と昭和の敗戦の二度に及ぶ作刀技術存続の危機にあって、式年遷宮が復興のきっかけとなりました。
 本展では明治以降、御太刀調製に関わった刀匠の経歴と作品を紹介し、また敗戦による式年遷宮の延引と斎行、
日本刀の所持並びに製作の禁止とそれらが許可されるまでの法制資料を公開して、現代刀復興の軌跡と式年遷宮が
我が国の文化継承に果たした役割を明らかにします。…と、その趣旨が端的に述べられています。

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 数ある神宮の御神宝の中でも最も位列の高いのが御太刀であり、その外装です。
 徴古館ではこの五年間、年頭を飾る新春企画展として毎年正月元日より二ヶ月間、『神宮の刀』展を催して来られました。
その第一回より第三回迄が「将軍奉納刀」展。昨年の第四回がー聖上の御心を拝してーとして天皇陛下が捧げられた
「御奉納刀」展。  
そうして本年はー館蔵品名刀とともにーと題して「御神宝御太刀」展を開催し、この様にその度毎に立派な図録を発行し続けておられます。
 そして来年度の徴古館開館百周年記念展の準備にあたって是非、君に協力して欲しい≠ニの有難いお話であったのでした。

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 私の卒業論文は「肥後敬神党―神風連の研究」、神主としての生涯の課題です。
 ですから日本刀に関する想いは所持鑑賞のみならず、特に神話の解釈から始まってその歴史沿革に学びつつも
「剣の魂・神武の心」が奈辺にあるか、なのです。
 更には、厳しくも美しい神秘的なる刀剣の製作及び研磨の技術や刀装具に至る職方の領域まで興味が進み昂まって、
今や趣味の域を超え道楽とまで進みつつあります。
 この先は極道です。…もはや、慎まなければなりません。

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 さて今回の協力要請の趣旨は、未曾有の敗戦汚辱を払拭して昭和二十八年秋見事に斎行なった日本民族独立再興の証、
『第五十九回神宮式年遷宮』の御神宝御太刀製作者全国十三名の刀匠中、熊本県より奉仕された隈部忠利刀匠と
その製作刀の調査でした。
 かねてその栄誉とお名前だけは聴いてはいましたが、郷土の誇りと仰ぐこの刀匠の作品のみが八方手を尽くして探しても、
一振りも発見できぬとの事なのです。

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 只今も刃物鍛冶を営む遺家族や門流の現役刀匠ならびに研師の面々、出身地の役場や教育委員会、
県内外の刀剣商や?日本美術刀剣保存協会熊本県支部をあげて調査しても皆目見当がつかぬのです。
半年を経ても尚、未発見でした。
 そのうちに、東京からも福岡からさえも私の処に問い合わせが参ります。
 阿蘇神社の台帳にあった筈だと思い返し連絡してみますが、むしろ阿蘇神社の宮司様や同社の学芸員からも却って
探索の依頼が帰って来る始末です。
 熊本県教育庁文化課に問合わせて刀剣登録の台帳を閲覧できれば、立ち所に調査の糸口が判明し解決するのですが、
守秘義務により、その協力要請が適わないのです。

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 神宮徴古館当局では、最終的には隈部刀匠の作品ぬきで之を開催するしかないとの、刀匠や郷土にとって実に
不名誉な結論を取らざるを得ぬ方向に傾いていたようです。
 私は現在、熊本県神社庁神宮式年遷宮特別対策委員会の副委員長。そして、?日本美術刀剣保存協会熊本県支部の
理事の立場でもあります。

ましてや神職としての資格は、この伊勢倉陵の皇學館大學に学んで取得しました。
生命すらも大神様に護っていただき現在があります。…洵に残念でなりません。
 天余の事依さし$_々から与えられし使命、その役目を是非、全うしたいのです。
天照皇大神のみことを畏みまつり、その成就を必死に祈り行じなければなりません。

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 鎮魂帰神…原点に立ち帰って探索することにしました。
 隈部刀匠の敬神の念と鎮守の神様の調査です。産土神社の若宮神社では、近年まで例祭時に真剣を用いての
「肥後神楽」が奉納されていた事が直ちに判りました。
はやる心を押さえつつ、未だお会いした事なき同神社ご奉仕の日方宮司様に早速、連絡を取って一気に事の次第を説明、
御刀の事をお伺いしたのでした。
「ああ、隈部さんの奉納刀ですか、二振りありますよ。」あっさり明るい返事がかえって参りました。暁光です!
ああ、遂に神の啓示を賜ったのです。           

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 愈々高まる鼓動をひたすら抑え、近日中に伺う事を直ちに申し入れた次第でした。返す刀で、
同じ下益城郡支部所属の佐俣阿蘇神社にご奉仕の船原宮司に正式な紹介と若宮神社へのご案内をお願いしました。
…ごく親しい特別の関係の一期先輩です。
 何と、「ああ、その隈部さんの奉納刀、うちにもあるよ!」との事。
涙が一気に堰切りとめどなく溢れ出て止みません。…ああ、至誠が天に通じたのです!
 神武天皇ご東征の折に、夢に神の命を受けて天剣を捧げまつった高倉下の心境です。
 吾もまた高倉下なり天が下 神武の剣ささげまつらん=c拙い歌を詠みました。
 暗雲が一気に切れ、天照皇大神の御光が燦々と照り輝き始めました。期待に背筋が伸びます。
まさに、サムシンググレート!…私の責務はどうやら果たせそうなのです。

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 折しも春休みで、皇學館大学神道学科に先年入学した長男が帰省中でした。その晩私は祝杯を挙げつつ、
こみあげ来たる此の感激を妻子に語り伝えたのでした。
 明けて、徴古館開館を待っての朝一番の喜々たる朗報に、館長並びに主任学芸員の喜びが受話器の向こうから伝わり来ます。
午後からは、長男同道で往復四時間余の道程を駆けてその二社を参拝し、隈部刀匠奉納の御刀調査に伺う事にしました

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 船原先輩ご奉仕の佐俣阿蘇神社の御神刀は、「昭和二十七年十月吉日 肥後住忠利」と表裏にあざやかに刻銘の
二尺六寸に迫る堂々の太刀でした。しかも上品静穏…一見して天下の名刀来国俊を目指したと想える、
渾身の直刃出来の高位の太刀なのです。
 そしてその白鞘には墨痕淋漓と、隈部刀匠自筆の鞘書が遺されているのでした。
 何と、第五十九回神宮式年遷宮斎行前年の年季銘、御神宝太刀製作と同時期作です。
この頃は未だ刀剣の製作は許されていなかった筈、まさに式年遷宮の御為に、特別に許されて打ち鍛えられた御太刀なのです。

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 日方宮司奉仕の若宮神社には、もう一振り見事な隈部刀匠奉納の豪刀がありました。
昭和十三年、刀匠として独立後始めて打ち鍛え、新作日本刀展第七席の栄誉に輝いた重厚幅広猪首の剛刀です。
銘文から音に聞こえた栄誉の作であることが判りました。
 そして表裏に振り分けて、「奉・納」と追刻してあります。
 私の感激は更に重なり、昂ぶる胸の震えは治まりません。同行の長男も解っているようです。…神の実在、
その証を目の当たりに感応して静かに堪えているのです。           

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 つい三日前の六月二十二日、研師を始め各職方の協力で最上の仕上げを得、全てが修復なったこの
『徴古館開館百周年記念展』出展の二振りの御神刀は、一旦、それぞれの神社に納まりました。
…そして九月には、神宮徴古館へと旅立つのです。

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 明治天皇御製 
 
 目にみえぬ神の心にかよふこそ 人の心のまことなりけれ

『誠は天の道なり、これを誠ならしむるは人の道なり』ご静聴有難うございました。
                      
(熊本県 本渡諏訪神社 宮司)


平成21年7月15日






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