「 糾 弾 書 」 

犬塚哲爾(神宮参拝禊会帝都世話人・八千矛社代表)

明治神宮責任役員、総代、禰宜、並びに勅祭社宮司各位


 冠省 突然に不躾なお手紙を差し上げる非礼を、先ずは心から深くお詫びします。

 小生は犬塚哲爾(博英改メ)と申す一介の野人で、第二次安保闘争を前後して全国の大学に派生した「民族派学生運動」に身を投じて以来、
今日まで三十五年余り民族運動に従事している者であります。
学生時代の活動拠点が原宿にあったことなどから、若い頃から明治神宮への尊崇、崇敬の念は厚く、
足繁く明治神宮の参拝を続け、今日に至っております。
少し長くなりますが、ことは明治神宮の一大事にかかわることゆえ、暫く拙文にお付き合い、ご笑覧頂きたくお願い申し上げます。

 名もなき市井の明治神宮崇敬者として、今年三月以降の明治神宮の一連の騒動については、大変憂慮し事態の推移を注視してまいりました。
身の程知らずの謗りを恐れずに、去る七月十二日に「明治神宮の現状を憂える崇敬者有志の会」代表として、
昭憲皇太后様九十年祭に先立つ天皇皇后両陛下の御参拝式の案内状に、前代未聞の重大な誤記があったこと、
その取り扱いや処分問題、そしてこの不敬誤記事件を契機として派生した明治神宮の神社本庁離脱などについて、
七項目にわたり外山勝志宮司宛に質問状を提出したことがあります。
その後面談、意見交換した男成洋三・総務部長(現祭儀部長・禰宜)は、当方の質問に「犬塚を説得出来る論旨を持ち合わせていない」弁明に終止、
教学に熱心だと言う宮司との直接面談を要望するに留まりました。

 それと前後して宮内庁総務課長、明治神宮責任役員、総代各位へ不敬誤記事件の処理、
神社本庁離脱の経緯などについてお尋ねする書簡を差し上げました。
同憂同志と分担して責任役員、総代のご自宅を訪問する手筈も整えていたのですが、ある総代が「良かれと思って引き受けていることで、
右翼が自宅に押しかけて来るようでは役を退きたい」といった反応が伝わり、民間側の責任役員、
総代が宮司や権宮司の一方的な説明を聞き置くだけで、名誉職、形骸化して殆ど機能していない実態を痛感しました。

 その後、神社新報や朝日新聞などの報道で、神社本庁正副総長と明治神宮宮司、筆頭権宮司の四者会談で「一旦は離脱せざるを得ないが、
冷却期間をおき、近い将来復帰することが確約された」ことを知り、不敬誤記事件の対応については全く納得出来ないが、
直接の神社人ではない小生たちは、暫くは事態の推移を静観することを申し合わせてきました。
しかし残念ながら、伝わってくる情報は報道された内容とは大きく異なることばかりで、「国民新聞」(10月25日号)には毛利義就・権宮司が
「六月の勅祭社の集まりの際に、外山宮司が宮内庁次長に会い誤植について詫びた。
神社本庁に間もなく復帰することはありえない」と発言し、不敬誤記問題は決着済み・本庁離脱撤回はあり得ないという対応でした。

 この数ヶ月間、明治神宮関係社内外から各種情報がもたらされ、外山勝志宮司の独断専行、少しでも批判的な意見を言う者は退けられる明治神宮私物化、
風通しの悪い明治神宮神職の実態が次第に明らかになってきました。
各種情報の中には、言うも書くも憚る金と女の醜聞など週刊誌が飛びつきそうな材料も少なくありません。
小生らは各種謄本など公的資料に裏付けられる範囲だけでも、外山宮司が明治神宮を私物化していると思わざるを得ない「事実」を入手しました。
ご本人には勿論、余人を持って替えがたいと思われる責任役員の某氏に各種資料を添付して、「スキャンダル」が公になる前に、
自ら名誉ある撤退をされるか、責任役員会の良識で事態の正常化を図るべきではないかという、申し入れをいたしました。
当方が指摘した事実が余りに、「想像を絶するオゾマシイ内容」であったためか、指摘して半月余りたった今も、何の反応もありません。
外山宮司は只管ダンマリを決め込むだけです。

 小生は明治神宮の不祥事が明らかになれば、結果的に御祭神の明治天皇様の御聖徳を傷付けることになるのではないかと憚り慎みを持って、
意見具申に勤めてきました。しかし当方の慎み、限定的手段をいいことに、恥知らずの首脳部は只管警備を厚くし、疑念に答えようとはしません。
小生らが指摘した事実は凡そ宗教人、明治神宮の宮司という聖職者にはあるまじき破廉恥極まりないことです。
小生らが知りえた全ての事をここで明らかにするわけには参りませんが、内部の力で正常化することが出来ない以上、
あえて悪者を買って出て、関係各位の勇断、決意を促したく存じ、この手紙を差し上げるに至った次第です。

 ここでは外山宮司が明治神宮を私物化しているとしか思えない二つの事実を指摘し、各位への問題提起とします。
金とか人事の問題は嫌なことですが、あえて触れざるを得ません。

 一つは外山宮司が取得された世田谷区・砧の豪邸の件です。謄本・土地の表示の表題部だけを添付しておきますが、
平成十一年五月二十六日に土地約65坪、二階建て建物役55坪の「豪邸」を購入しております。
乙区には抵当権は一切付いていませんので、常識的には現金で購入したと推測されます。
当時に比べ地価が下がった現在でさえ、優に一億円は超える不動産で、茶室や囲炉裏も備えた贅を尽くした物件です。
五十年近く明治神宮に奉職してきた外山宮司ですから、現金でポンと購入しても不思議でないのかもしれませんが、
多くの神社人と交友を持ってきた小生としては奇異に思わざるを得ません。
しかもこの物件購入に当たって、宮司自ら三度ほど内覧していますが、自らは素性を一切明らかにせずに、
関係会社と思しき業者が手続き一切を代行しています。

 「所有権移転」の順位番号3は渋谷区神宮前に本店登記する株式会社ケイウッドインターナショナルという会社です。
同社社長A氏と同行した株式会社クイズノスジャパンのS副社長はケイウッド社と同住所・同室に本店登記している会社です。
このS副社長は港区六本木に本社を置く「株式会社ア・ファクトリー(小椋秀樹社長)」という店舗内装工事設計施工、
建設コンルティング会社の専務でもあります。
ア・ファクトリー社については、HPで同社名で検索してもらえれば大体の会社概要がお分かりになります。
昨年度は売上17、782百万円、申告所得447,846千円というなかなかの会社のようです。
ア・ファクトリーの会社概要には要クライアントとして「宗教法人明治神宮」が自己申告してありますし、
同社のコンサルティングマネージメントの代表例として明治神宮文化館が写真で紹介されています。
建物名は明記されていないものの、慣れ親しんでいる関係者には一目瞭然です。

 砧の物件購入の際、1の株式会社日本建築事務所と2のケイウッド社の売買金額は一億二千万円でしたが、ケイウッド社の申し入れにより、
土地八千万円、建物二千万円、計一億円と売買金額を低くし、前記のア・ファクトリー社が日本建築に半年前に遡って設計業務を委託契約したことにして、
設計料名目で不動産購入手付金の二千万円が支払われています。
(売買契約書入手しています)両社にはこの物件売買以外に仕事上の付き合いは一切なく、設計作業の実体は全くないそうです。
日本建築事務所の代表者の話によると「関係会社の大恩人の方の為に購入し、二千万ほど掛けて内装を替える」ということだったそうです。
売買契約から約三ヵ月後、日本建築居住者が立ち退き後、直ちに外山勝志名義に変わっています。
あえて売買金額を低く抑えて、ア・ファクトリーのダミー会社のケイウッド社を契約の前面に立てなければならなかったのか。
二千万円かけた内装が事実なら、砧の物件の取得原価は最低一億四千万円以下というわけにはいかないものです。
貧乏人の僻み根性、下種の勘繰りといわれれば抗弁しようもありませんが、この不動産売買に犯罪性があるか否かはとも角、
外山宮司の砧豪邸取得に明治神宮文化館の建築・施工やその後のア・ファクトリー社、並びに同社関連会社への明治神宮宮司としての
地位を利用した便宜供与を疑わせるに充分な内容ではないかと思慮しましが、如何でしょうか。

 さて、後一つは明治記念館を巡る記念館前館長、業者入り乱れての世間ではよくあるリベート、女をめぐるトラブルです。
明治記念館はいうまでもなく、大日本帝国憲法が発布された歴史的な施設で、明治神宮が創建され、神宮外苑が整備されるとともに、
明治神宮の付属施設となり、戦後昭和二十二年から明治神宮の結婚式場として、
日本で最初、最高の権威ある式場として多くの崇敬者に愛用されてきました。
今回の調査で始めて知ったことですが、記念館は明治神宮の付属施設であるとともに、同所に本店を置く明治神宮百パーセント子会社の
竃セ治神宮調理室(結婚式、各種宴会、料亭、飲食店の経営、昨年度売上54億円)、潟Zラン(旅行代理店、貸衣装、写真、売上55・9億円)、
潟}ンネットサービス(配ぜん人紹介、司会、演芸、売上4・1億円)といった「明治記念館グループ」によって運営されています。
代々、明治神宮の筆頭権宮司が記念館館長を勤めてきましたが、旅行業経験者として記念館に入社してきた相川某が館長代行を務め、
平成十五年には権宮司以外では始めて館長に就任。
潟Zラン、潟}ンネットサービスの社長を努め、潟Zランでは総務部、商品部、衣装部の部長を兼職し、
記念館、関連事業において一手に権力を掌握し、専横を極めていたそうです。
業者からのリベート要求は勿論、各種トラブルに伴う対応に対しトラブル処理費とし金銭を要求し私腹を肥やしてきたといいます。

 こうした振る舞いも外山宮司の相川に対する格別の庇護があった故といいます。余りの相川の横暴と業者からの苦情により、
記念館幹部が具体的な資料を外山宮司に「密告」して、館長就任一年後の平成十六年三月二日に館長、
ならびに関連会社の役員をすべて辞任させられています。
本来ならば背任横領事件として刑事事件となるような事案ですが、外山宮司にクビを宣告された相川は、記念館内部での不祥事をばらすことを示唆して、
「健康上の理由」という名目で退職金を貰って去っています。
退職した翌日にゴルフに行っていたことが目撃されています。
相川が示唆したという明治記念館内部のスキャンダルの一部を小生らも入手していますが、
真偽相混じり、余りにも目を覆うような内容ですので、あえて記述することは控えます。

 相川辞任後、同日付で竃セ治記念館調理室の社長になったのは角田清範氏で、記念館内では外山宮司の甥っ子といわれていましたが、
本人の言では「従兄弟のような関係」だそうです。
外山宮司の縁者であることは間違いありません。角田氏は製菓部、料飲部の部長を兼職し、今では明治記念館グループ最大の実力者といいます。
料飲部傘下の「料亭花かすみ」の初代女将は銀座のクラブママを引き抜いてのこととか、記念館内では課長代理の職責に当たります。
不況とデフレで高級料亭ですら値下げを余儀なくされている昨今、同店は一人三万円はかかる高級店です。
場所柄女性を侍らせて馬鹿騒ぎ出来るわけでもなく、日ごろは閑古鳥が鳴く状態です。
それでも出入り業者は使用が義務付けられており、何とか経営が成り立っているのでしょう。

 何故に、明治記念館内で直営の高級料亭を経営しなければならないのでしょうか。
また結婚式場として創業以来取引のあった衣装、写真業者などを追い出してまで記念館直営にしなければならなかったのでしょうか。
こうした情報の多くは記念館運営に恨みを抱く業者から寄せられたものなのです。
明治天皇様が憲法を発布された間を潰して喫茶店を営業し、長野県でホテルを経営し、
西新宿で日本料理店・寿司屋「美古志」を経営しなければならない必然性があるのでしょうか。
しかも、明治神宮関連グループ三社は、明治神宮の財政にそれ程寄与していないともいいます。
単純に場所貸しする外苑事業が明治神宮の経営に大きく貢献しているそうです。
「創価学会の経済力」を特集した「週刊ダイヤモンド」で始めて知ったことですが、明治神宮は創価学会についで宗教法人の申告所得第二位という経済力です。
先の男成祭儀部長との絵面談の折、かって月刊だった広報誌「代々木」が年四回の季刊誌になったと指摘したところ、
「崇敬会の集まりが悪く、会費も安いので」と弁明していました。
充分過ぎる財力もあり、教学に格別熱心だという外山宮司が、教育基本法の改正が大いに論議され、来年は戦後六十年、
日露戦役戦勝百年の重大な節目のときに、積極的に明治天皇様の御聖徳や教育勅語並びにその精神の復活を啓蒙実践する
任務を放棄していることが誠に残念です。

 支離滅裂な悪文に最後までお付き合いいただき感謝に堪えません。今まで記した事実以上に詳しい資料を添付して、
宮司、筆頭権宮司、ある責任役員に半月前にお手紙を差し上げましたが、取るに足りないことなのか全く反応ありません。
場合によっては、最も尊崇する明治神宮の権威を毀損するのではないかという懸念を払拭し、敢えて関係者百人余りにこの手紙を差し上げる所以です。
神明に奉仕する者がまさか北朝鮮の金正日独裁体制のような外山宮司の明治神宮私物化、専横支配の恐怖に怯えておられるわけではないでしょう。

 聞くところによると、先月の明治節の大祭の折に、外山宮司は写真を取られるか右翼の襲撃に怯えたのか、参進の際に行列に加わらず
、一人ひそかに本殿に入ったとか。もし事実であれば宗教者、神道人としての使命、自覚を心底疑います。
実に不快な手紙を差し上げたことであろうことを、心から申し訳なく存じます。
こうした手紙を差し上げながらこれまでと同様に、事態打開の動きが見られないようであれば、敢えて悪者に徹し、
これまでの調査で知りえた事実を世間に公表し、一般社会の常識に問う覚悟も有しています。

 外山宮司の長年にわたる明治神宮私物化、専横恐怖支配はいま確実に綻び始めているのは間違いありません。
関係各位の熟慮、勇気ある決断を心から期待します。残された時間はそう長くはありません。

 末尾ながら支離滅裂な悪文に最後までご笑覧賜り心から感謝申し上げます。

 関係各位の一層のご精進、ご健安を切に祈念致します。         敬白 


平成十六年十二月八日

   明治神宮の現状を憂える崇敬者有志の会

八千矛社 代表 犬塚哲爾

 関係各位





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