平成16年/07/27

戦没者追悼の式辞縛る「村山談話」
首相に求めたい早期の完全撤廃

国学院大学教授 大原康男 

 今年もまた八月十五日がやってくる。あの日本でもっとも長く暑かった日から数え
て、早くも五十九年。真夏の陽光が降り注ぎ、蝉時雨(せみしぐれ)がさざめく中を
本年も多くの人々が靖国神社に詣でて、過ぐる大戦に散華された数多くの英霊に、
追悼と感謝の意を表することだろう。
 その九段の杜の斜(はす)向かいにある日本武道館では、天皇・皇后両陛下のご臨
席を仰いで恒例の「全国戦没者追悼式」が挙行される。講和条約の発効によって、わ
が国が主権を回復した直後の昭和二十七年五月二日、新宿御苑で行われた政府主催の
「全国戦没者合同追悼式」がそのルーツだが、周知のように、それは「慰霊祭」とい
う名称を使わず、特定の宗教に依拠しない“献花式”とも呼ばれる方式によって営ま
れてきた。
 しかし、黙祷(もくとう)・献花というやり方はキリスト教に親和的だとする見方
もあり、当初から「官製の新興宗教とでも言いたいもの」という批判があったことも
事実である。
 もっとも、それが恒例化したのは昭和三十八年からで、会場も日比谷公会堂、靖国
神社外苑と年々変わり、昭和四十年からは日本武道館になって今日に至っている。式
場中央の祭壇に建てられる素木(しらき)の柱は当初は「全国戦没者之標」であった
が、昭和五十年から「全国戦没者之霊」と変更された際、「霊」という言葉を使うの
は「憲法に反するやり方だ」と国会で問題にされたこともある。
 昭和三十八年の「第一回全国戦没者追悼式」で昭和天皇は「先の大戦において戦陣
に散り、戦火に倒れた数多くの人々をいたみ、その遺族を思い、つねに胸のいたむの
を覚える」と述べられたが、その悲痛なる哀悼のお気持ちは、これ以降、一貫して変
わらなかった。その基調音は今上陛下にも継承されている。
 これに対して、主催者である政府を代表する首相の式辞の内容は、ここ十年ほどの
間に大きなブレが生じている。平成四年の宮沢喜一首相までは、修辞上の違いはある
にしろ、(1)戦没者への追悼(2)戦没同胞の犠牲を伝え、恒久平和を確立する決
意の表明(3)戦没者遺族に対する慰藉(いしゃ)の思い−という点では概ね共通し
ていたといえよう。
 ところが、平成五年の細川護煕首相の時から、「全国戦没者追悼式」でありなが
ら、「アジア諸国をはじめ世界の国々のすべての戦争犠牲者とその家族」にまで追悼
の対象を拡大し、続いて平成七年に村山富市首相は「アジアの諸国民」に対して、
「多くの苦しみと悲しみ」を与えたことへの「深い反省」という、一方的な謝罪の文
言を付け加えたのである。
 前者は、首相就任時の「侵略戦争発言」が背景にあると思えるし、後者は、後でも
う一度触れる「戦後五十周年の終戦記念日にあたって」と題する、いわゆる「村山談
話」と密接な関係にあるが、双方相俟(あいま)って自国の「過去」へのこだわりと
罪責の追及が質・量ともに増え、その後の首相もほぼこれを踏襲することになる。
 ただ、小泉純一郎首相になって、戦没者に対する「敬意と感謝の誠」という表現が
初めて加えられるなど、少しずつ改善されつつあるが、まだまだ自虐史観色が残って
いる。
 本年の「式辞」では、さらにそれが払拭(ふっしょく)され、同胞の戦没者に対す
る追悼と遺族への慰藉を趣旨とする本来の「式辞」に回帰することが望まれる。
 それよりも問題なのは、先に少し言及した「村山談話」である。これは、その年に
衆議院でなされた「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」−出席議員の過半
数は得たが総数の過半には達せず、かつ参議院では見送られた、いわゆる“終戦五十
年国会決議”−を不満として、あらためて首相の談話として出されたものであるだけ
に、その自虐度は、この衆議院決議をはるかに凌駕(りょうが)し、あきれるほど凄
(すさ)まじい。
 曰(いわ)く、「過去の一時期、国策を誤り」「植民地支配と侵略」「多大の損害
と苦痛を与え」「痛切な反省」「心からのお詫(わ)び」「独善的ナショナリズムを
排し」…といった謝罪一辺倒の言葉の示威行進(デモンストレーシヨン)が続く。
 しかも、ある限られた時期の「首相談話」にすぎない代物が、その後の歴代内閣に
おける大臣や副大臣の任命に際して、一種の申し継ぎ事項とされ、いまなお拘束し続
けているという。実に由々しいことではないか。日本の再生のためにも早急に撤廃さ
れるよう強く求めたい。




平成16年/06/26

女帝論の前になすべき皇室改革
実に重い両陛下のお言葉
国学院大学教授・大原康男 

 去る六月十四日、宮内庁の羽毛田信吾次長は、皇太子殿下のご発言をめぐる「事実
に基づかない報道」に関して、「そのような報道の多くが、家族の中の問題にかかわ
る憶測であるならば、いちいち釈明することが国のためになるとは思われない。宮内
庁が弁明のために労を費やすことは望まず、今は沈黙を守ってくれてかまわない」との
天皇・皇后両陛下のお言葉を記者団に伝えた。
 私たちのような一般人ならば、「私事に関することだから、放っておいてくれ」と
強く抗議してもよいことである。それを「国のためになるとは思われない」と
おっしゃって抑えられた。実に重いお言葉である。
私は背筋が慄(ふる)えるほどの深い感銘を覚えた。
 
そういえば、皇太子殿下も、まだご結婚を躊躇(ちゅうちょ)されていた雅子さま
に対して、「外交官であることも、皇室に入ることも、国のためという点では同じで
はありませんか」と話されたことをふと想起する。「国のため」−それは今回の一連
のご発言の背後にあるキーワード「公務」に直結することではないだろうか。なにせ
殿下はあの衝撃的なご発言に先立つ二月十九日に行われたお誕生日に際しての記者会
見で、「公務」という言葉を十五回も使っておられるのだから。

 一体、国民は皇族方のご公務に関してどれほど知っているのだろうか。かつての明
治憲法の下では、天皇は「統治権の総攬者」であり、「陸海軍の大元帥」であられ、
男子皇族は一方では貴族院議員として、他方では陸海軍人として天皇の有する文武の
大権を一番身近なところで分掌される−そのご公務の内容は広く知られていた。
 これに対して、現憲法下では、「日本国及び日本国民統合」の準象徴としてのお立
場から、政治を超えた国際親善の増進に、あるいは国民との多様な交流を通してその
社会的統合に資するよう天皇をお助けすることが皇族のご公務である。ところが、
「象徴」という語に曖昧(あいまい)さが残るにせよ、メディアの関心は専ら妃殿下
方のファッションに代表される私生活に偏り、ご公務については報道することが少ないため、
その内容は存外知られていない。

 高円宮殿下が急死されたとき、「なぜ、カナダ大使館で?」という声があったが、
殿下が「日加協会」の名誉総裁として両国の友好に尽くされてきたことが周知されて
いれば、そんな疑問など出るはずがあるまい。一事が万事である。今回のご発言をめ
ぐる論議でも、皇族のご公務のあり方を掘り下げて考えるような議論はきわめて少ない。
 
キーワードはまだある。「皇室典範」である。「お世継ぎ」問題との関係で、ここ
数年来、女帝をめぐって皇室典範の改正がやかましく論じられているが、その是非は
措(お)くとしても、皇室に関する基本法である皇室典範の改正は、女帝問題を含め
て皇室にとって非常に重大な関心事であるはずだ。にもかかわらず、現憲法では国会
の過半数の議決によって可能であり、皇室のご意向が反映できる余地は全くない。著
しく公正性を欠いた規定ではないか。
 旧典範の改正には皇族会議の議が必要とされていたが、せめて現典範の改正には皇
族の代表も議員として入られる皇室会議の議を経るという規定を加えるべきであろ
う。女帝の議論はそれからでも遅くはない。

 もう一つのキーワードは「宮内庁」である。いつものことだが、今回も宮内庁の対
応が批判の対象にされた。しかし、これは特定の人の問題にとどまるわけではない。
制度の根本的な問題でもある。現在、宮内庁は内閣府の外局として内閣総理大臣の
「管理」の下にあるが、その前身の宮内府は内閣総理大臣の「所轄」であって、公正
取引委員会のように内閣から相対的な独立性を確保していた。
 いわゆる“皇室外交”が皇室の“政治的利用”とならないことを確実にするために
も、この独立性は不可欠だが、また役所のステータスにも関係する。
 各省庁の出向者がトップを独占するような慣行をなくして、生え抜きの職員が責任
ある地位に就き、長期的視野に立って皇室のあるべき姿を構想し、業務を遂行すると
いうシステムができていたならば、このような事態にはならなかったかもしれない。

 今回の問題を単にワイドショー的な薄っぺらな好奇心に委ねるのではなく、現行の
皇室制度を抜本的に見直す契機と捉えれば、禍福を転ずることにもなるのではないか。




 
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