回想録

戦後初の日本国民による尖閣諸島魚釣島上陸 軟弱な日本政府に代わって堂々と領有権を主張した
昭和53年5月11日 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊


(1978年)       魚釣島強行上陸          . 
隊長 笠原正敏 若干25歳



上陸前 船上にて
右端が笠原正敏会長



上陸を阻止する海上保安庁
この当時からシナに媚びる我が国政府の事勿れ主義が始まった。






上陸用ゴムボートに体当たりをして上陸阻止を繰り返す海上保安庁警備隊
シナの漁船軍団には領海内で押し返されたそうだが、同胞には強気の体当たり
この締まらない構造は今も変わっていない。 
目の前には魚釣島。



この後、日の丸を身体に巻きつけ海中に飛び込み泳いで魚釣島に上陸。



その後、笠原会長が上陸(正面) 海上保安庁職員も上陸 事情聴取
戦後、初めて領有権を主張して日本国国民を代表して大日本赤誠会が魚釣島に上陸した。
(この当時の海上保安庁職員の制服は工事現場のオッちゃんスタイルだった)



左から2人目が笠原正敏会長。






この命懸けの行動が、第三次・四次の尖閣魚釣島上陸のきっかけとなって
灯台建設に発展していった。




昭和44年国連アジア極東経済委員会が報告書で尖閣諸島周辺に石油埋蔵の可能性を指摘すると
昭和45年北京政府は急遽尖閣の領有権を主張しだした。
 昭和53年4月、日中平和友好条約締結に向けた交渉が行われている中、突然、約100隻の武装中国漁船が
尖閣諸島に接近し、領海侵犯、領海内不法操業を行うという事件が発生した。
これに対し、我が国政府と海上保安庁はただ傍観するのみであった。
よって5月11日尖閣諸島領有決死隊を結成し当局の不当な弾圧をはねのけ上陸を敢行した。
この一次二次にわたる決死の行動がきっかけとなって現在も尖閣は竹島のようにシナに不当に占拠されずにいる。
こうした行動がなければ尖閣諸島はすでに覇権シナによって占有実効支配されていたに違いない。



平成18年4月5日


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大日本赤誠会愛知県本部







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